死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第3回
定年のある職業とない職業

どうしてこういうことになったのであろうか。
本当に年をとると、
人間はそんなに役に立たなくなるのであろうか。
私は、一つには企業にも寿命みたいなものがあって、
一定の年代がたつと、企業自体の変化に対する適応力が鈍化して
収益能力を失うからではないかと思う。
そうなると、企業スケールに比して従業員が多くなりすぎ、
人員の削減が経営者の頭に浮かんでくる。

第二に、人件費はコストの中で大きな比重を占めているため、
常に経費節減の目標にされる。
機械化も自動化もすべて生産性をあげることと、
人減らしを主眼としているのをみてもおわかりの通りである。
なかでも有能な管理能力を備えた者は別として、
事務系とか不熟練労働者は、
賃金が安くて身軽に働ける弱年労働者のほうが大事にされる。

第三に、一年長く勤めれば一年だけ昇給が続き、
年をとるほど賃金の高くなる年功序列給が
時代に合わなくなってきたことである。
単なる年功序列給のほかに、
職務給や職能給を加味する企業もふえたし、
時間給とか、歩合給を採用しているところも珍しくない。
しかし、給与の基本にあるのは、
何といっても年功序列給だから、人員を削減しようと思えば、
まず年配者からということになる。
年配者にとって御難続きの時代といってよいだろう。

してみると、定年制は会社の都合でできたものであるから、
会社の規則通りに定年を迎え、
退職をして退職金をもらったりするのでは、
人がいいというか、とろいというか、
滅私奉公を絵に描いたような人生を送ったことになる。
もし、会社側に都合のよい定年制があるとすれば、
個人に有利な定年もあって然るべきではないだろうか。
もしくは、定年後の心配のない、
自分にふさわしい職業についたり、
職業選びのできる方法はないものだろうか。

そういった目で自分の職業をふりかえってみると、
世の中には定年のある職業と定年のない職業がある。
定年のある職業は他人様に使われる職業であり、
定年のない職業とは、自分で自分を社長に選ぶことのできる職業、
すなわち中小企業の社長とか、
自由業とか、といった職業であろう。

なるほどそういう職業なら他人にクビを切られる心配はないから、
いつまでも同じ職業を続けることができる。
しかしだからといって、いつまでもダラダラと
同じことを続けていたらよいということにはならないだろう。
年をとって世の中の動きについて行けなくなったら、
誰にも相手にしてもらえなくなる。
小なりといえども、一国一城の主であれば、
国を傾けることにもなる。
だから頃合いを見て、自分で自分のクビを切らなければならない
ということもあろうし、
後継者にあとを託す必要も起こってくる。
また他人に自分のクビを預けている人は、
六十歳の定年まで働くのも1つの生き方だが、
どこで辞めるのが賢い方法か、自問自答してみる必要もある。

六十歳などという中途半端なところでクビを切られるのなら、
いっそもっと早い時期に自分で自分のクビを切るとか、
クビを切られないですむ職業に鞍替えしてしまうとか、
あれこれと方法が考えられる。

もちろん、学校を出たての時から、
一切、就職することには目もくれず、
最初から独立自営というやり方もある。
しかし、学校出たての頃は、
西も東もわからないのが普通だから、
何らかのツテでどこかに就職するのが自然であろう。

それがキッカケになって、その延長線上で独立することもあれば、
まったく別の事業か、職業にたずさわることになる場合もある。





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2014年11月26日(水)

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