死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第29回
世界大恐慌は再来するのか

たとえば、今から六十年ばかり前に
世界大恐慌というのが起こった。
それと類似した社会環境になってきたので、
大恐慌の再来が最近ではジャーナリズムの話題になっている。

大恐慌の起こった昭和四年当時、
私自身はまだ五歳だったから、
すでにこの世に生まれてはいたが、
大恐慌を体験したとはいえない。
したがって大恐慌の実感は当然、持っていないが、
長じてのち大恐慌の記録は読んでいるし、
一通りの知識も持ちあわせている。

その点、現存する人びとの中には
実地に大恐慌を体験した人がまだいくらか生き残っている。
六十年前のことを体験している人というと、
年齢的に九十歳前後ということになるが、
同じ九十歳前後でも家庭の主婦だった人というのでは
仕様がないであろう。

いま九十歳前後で、経済界の第一線を生き抜いてきた人で、
しかも思考力のちゃんとした人となると、
是川銀蔵さんとか、小原織五郎さんとかいった
一握りの人びとにしぼられてしまう。
しかし、そういう人たちにしても、
六十年前はまだ経済人としては
ほんの駆け出しにすぎなかった筈だから、
当時の銀行の頭取とか、海運会社の社長が体験したようなことを
体験をしているわけではない。
それでもそういう大混乱の時代を生きてきた人間としての
発言の重みはある。
ジャーナリズムがそういう人たちにインタビューをした記事を、
私たちが喜んでむさぼり読むのは、
「リクツより体験」を重んずる気持ちが
私たち自身の中にもあるからである。

しかし、そうした体験をきかされて受ける印象は
六十年前と現在の類似点が強調されて
両者の相違点のほうはどちらかといえば無視されている、
ということである。
現象でも人物でも、似たところを強調すれば、
なるほど似ているところが目につく。
しかし、相違点を追究していけば、
似ていない面が一そうはっきりしてくる。
もし同じ面が事態を決定するなら、経験は大いに役に立つ。
しかし、似ていない面が物事を左右するものなら、
違った結果が出てくるから経験はあまり役に立たないだろう。

たとえば、六十年前と今の経済環境の最も違っている面は、
一つは六十年前は金本位制だったのに対して、
今は紙本位制(?)になってしまったことであろう。
金本位制の下では、
銀行の通貨は金の保有量にしばられているから、
中央銀行といえども勝手に紙幣を発行するわけにはいかない。
ところが、金本位制から全く離脱してしまったドルが
国際通貨として通用していると、
アメリカは不足した支払い手段をドルの印刷で
間に合わせることができるし、
他の国々はドルを準備金として
自国紙幣を発行することができる。
いざという時は準備高のいかんを無視して
自国紙幣を増発することもできる。
フィリピンや中南米の債務国では、
自国紙幣の国際的な信用度は低いが、
自国の経済力が高く評価されている日本やNIESの国々や
ヨーロッパでは、準備金として保有している
ドルの値打ちが傾いても、
自国紙幣だけで用を足して行くことができないわけではない。
問題は、債務国が支払い不能におちいって、
アメリカの銀行が倒産寸前にまで追い込まれた時に、
取付け騒ぎが起こるかどうかであるが、
アメリカの政府がいくらでもドルの印刷ができる以上、
政府が救済に乗り出せば、ドルの濫発によって、
ドルの対外信用がおちたり、
物価が上昇したりすることはあっても、
銀行が支払い不能におちいることだけはあり得ない。
とすれば、取付け騒ぎも起こらなければ、デフレも起こらない。
仮に起こったとしても、六十年前に起こったことと
逆のドルの暴落とインフレといったことしか起こりそうもない。





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2015年1月26日(月)

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