死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第38回
海外旅行も年代で違う

年の若い時の旅行と、
働き盛りになってからの旅行と、
また第一線から退いてからの旅行では、
それぞれ目的も違えば、お金の使い方も違う。

当然のことながら、
旅行から受ける印象や感想もまるで違う。
私たちが若かった時分の旅行は、
せいぜい北海道とか、九州に出かけるくらいなもので、
私のように旅行のチャンスの多かった者でも、
海を渡って香港まで出かけるのが関の山であった。
二十代の後半、香港に六年間住んだことがあったが、
知った人がヨーロッパ旅行をした思い出話を語るのを、
我が身に起こるかもしれないこととは
思わずに熱心にきき入ったこともあった。

それでも日本列島の中にとじ込められて、
海外に出かけるチャンスのまったくなかった
同級生たちに比べれば、
世界のことを知っている気になっていたが、
まさか自分が世界中を毎年のようにとびまわり、
香港や台湾やシンガポールに行くのは
自分の家の裏庭に出るような感じになるとは
夢想だにしていなかった。

私自身についていえば、
海外旅行は自分の見聞をひろげるチャンスでもあるが、
多忙からしばしの間、逃れるチャンスでもある。
分刻みというほどではないが、
六カ月先までスケジュールがぎっしり詰まった生活をしていると、
時間を先取りしなければ、
海外に出かけることも
電話のかかって来ない自由な時間を確保することもできない。
そう思って一年のはじめに
一年間の海外旅行のスケジュールをあらかじめきめてしまう。
それでもなお新聞社や雑誌社が旅先まで
電話をかけてくることもある。
また一人か二人で出かける積りが、
気がついてみたらゾロゾロと人がくっついて
十人、二十人の団体旅行になってしまっていることも
しばしばある。

ふりかえって考えてみると、
若い時分に比べて中年から以降の旅行の仕方は、
たしかに違ってきている。
二十代から三十代の頃は、
まだ自分の考え方がかたまっていなかったので、
外国旅行に行くと、見る物、聞く事、 すべて珍しく、
自分が感心したことは、そのまま自分の血となり肉となった。

西洋文明に対してはとくに畏敬の念を持っていたので、
欧米人のやることなら、
議会制度から女の扱い方まで何でも受け入れる姿勢になっていた。
そういう年齢の時に、
ロンドンやニューヨークに留学していたら、
あるいはその土地の女性と結婚することになったのではないか、
と思えるほどである。

幸か不幸か、私がヨーロッパに最初に出かけたのは、
四十一歳の時であった。
もうその頃には、思想の土台はすっかりできていたし、
一家の主人として家族の生活も肩にかかっていた。
また物書きとして多少は世間に知られるようにもなっていた。
したがって、異種の文明を無条件に受け入れることはできず、
「あれはいい」「これは駄目」と
取捨選択をする立場が確立しており、
青年期のような無邪気な西洋崇拝の心情にはとてもなれなかった。

それでも、旅費に事欠かなくなると、
ケチケチして安売り切符を買っていたのが
ファースト・クラスの乗客に出世し、
やがて宿泊するホテルも食事に行くレストランも
すべて一流に昇格した。
見聞をひろめることよりも、おいしい料理にありついたり、
買物をする楽しみのために各地の旅行に出かけるようになった。

日本にいると、毎日のように飛行機か、電車に乗り、
行った先々で一時間半か、二時間、
演壇の前に立って講演をする。
これが結構、運動になるらしく、ゴルフをやったり、
テニスをやったりしなくとも、
運動不足で体重がふえるようなことは起こらない。
ところが、外国へ行って、講演もなく、
三度三度、盛大に食事をしていると、
ホテルのバスルームの体重計がピンと上がってくる。

それを避けるために、「歩け歩け」と
やたらに徒歩で道を歩くので、
私の秘書たちの間には、「先生と海外旅行に行く時は、
足の痛くならない靴を持って行かんとひどい目にあうぞ」
という伝説ができあがってしまった。





←前回記事へ

2015年2月16日(月)

次回記事へ→
中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」

ホーム
最新記事へ