死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第46回
お金は使うために稼ぐもの

海外旅行のもうーつの大きな楽しみはショッピングであろう。
ふだん家にいて買物をする習慣のない人でも、
旅に出ると買物をする。
なかには、そういう人に、パリに行ったら、
ルイ・ヴィトンのバッグを買ってきてね、
ミラノに行ったら、ミッソーニのセーターを忘れずにね、
と頼む人もある。
フランスやイタリアの一流店は、正札販売になっていて、
値切る必要がないからいいようなものを、
でなければ、うんと高い買物を
させられることになるかもしれない。

人は生まれて物心づくと、
間もなくお金の存在に気づくようになる。
やがて小学校に入るとお小遣いをもらう。
お小遣いをもらって最初にやることは物を買うことだから、
お金についての初体験はお金を使うことであろう。
究極的には、お金は使うためにあるものであり、
人があくせくと稼ぐようになるのも、そのためである。
ところが、お金儲けに従事するようになると、
人間はしばしば本末を顛倒して、この簡単な原理を忘れてしまう。

人は働く動物である。
何のために働くかというと、生活の糧を得るために働く。
働けば何がしかの報酬を得る。
報酬の中から節約をして貯蓄をする。
貯蓄をしたお金で家を建てる人もおれば、
それを元手にして商売をやる人もある。
貯蓄をするのは、病気をした時とか、
失業をした時に備えるのが目的であるが、
それがふえてもはやこれ以上、貯蓄する必要がなくなれば、
人は貯蓄をやめるかというと、そんなことはない。

貯蓄の習慣が身につくと、貯蓄をする必要がなくなっても、
貯蓄を続ける。
またお金が儲かって、もはやそれ以上、
お金があっても何の役にも立たなくなっても、
依然としてお金儲けを続ける。
お金儲けのために努力をすること自身に
楽しみがあるということもあるが、
お金万能の時代にお金があれば、
人の尊敬を集めることもできるし、
人々に職をあたえ、いうことをきかせることもできるからである。

つまりお金も生活に必要な限度を超えるようになると、
使うという目的は忘れ去られて、
ただ、ふやすという目的のために追求されるようになる。
それが悪いということではない。
お金を稼ぐためには、人に便利をあたえるとか、
人の役に立つとか、
人から感謝されるようなことをしなければならない。
したがってお金を稼ごうと思えば、
人のためになることをやることになり、生産も盛んになるし、
サービスもよくなる。

一人一人の利己心が結果として世の中を進歩発展させる。
だから、お金持ちがふえることは決して悪いことではないが、
お金をふやすことが目的になると、
「人は一生の間にどれだけのお金を集められるか」
というレースに挑戦しているようなもので、
使うお金も使わないで、一生を禁欲生活、
耐乏生活ですごしてしまう。
自分が楽しいのだから、
それはそれで充実した人生であるかもしれないが、
死んでそれを相続した者が一生、賛沢三昧をして暮らすとしたら、
親子二代でちょうどバランスはとれているが、
稼ぐ人と使う人がそれぞれ分業になってしまい、
双方ともあまりに極端に走りすぎるのではなかろうか。





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2015年3月6日(金)

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