死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第52回
年寄り臭く見られたくない

礼服のシャツにはカフス・ボタンとネクタイが要る。
もう少し年の若かった頃はカフスも
たくさん持っていて、一番お金のかかったものは
プラチナの台にヒスイと
小さなダイヤをあつらえたデコラティブなものであった。
ネクタイ・ピンも同じデザインのものを香港でつくってもらった。

ある時、そのネクタイ・ピンと
カフスをつけて佐藤春夫先生の誕生日の会に出かけて行ったら、
隣りに坐った柴田錬三郎さんがいち早く目をつけて、
「金持ちは違うね」と妙な冷やかし方をした。

私は文士で家の中にばかり引っ込んでいるような人が
ヒスイに関心を持つとは思わなかったし、
ましてその識別ができるとは信じていなかったので、
いささか意外であった。
ネクタイ・ピンのほうは真ん中にあつらえたヒスイが
割合に上物で、かつ指輪にできる大きさなので、
のちに「早くパパがあきるようにならないかな」
と娘に狙われたりした。

本当に、時間がたつと、
私はそうしたゴテゴテしたものは一切身につけないようになった。
カフスは、銀でできた四角い、
シンプルなデザインのものを好んでつけるようになったし、
ネクタイ・ピンに至っては、
全部、小物箱の中にしまいこんでしまった。
以来、どういうわけだか、
私は一切のネクタイ・ピンに拒絶反応を示すようになった。

「ネクタイ・ピンはおじんのつけるもので、
若い人でつけている人はいない」
とどこかで読んだせいかもしれない。
そういえば、誰かから
「ネクタイ・ピンをつけると出世しなくなる」
ときかされたこともあった。
いずれも大して根拠のないことだが、気をつけてみていると、
都会風のセンスの洋服の着方をしている若者で、
ネクタイ・ピンをつけている人はいない。
ネクタイは風に吹かれて肩にひっかかるくらいが
カッコいいのである。

ある時、私と同年輩か、
私より少し年齢の若い友人たちと
ヨーロッパの旅行に出かけたことがあった。

旅行の間中、別にどうということはなかったが、
ベニスのグリッティ・パレスというホテルの運河に向いた
テラスで朝飯をしている時に、
なかの一人が、
「どうしてセンセイはネクタイ・ピンをつけないのですか」
ときいた。
すると隣りに坐っていた人も、
「いや、私もずっとセンセイの服装を見ていましたが、
どうしてなんですか?」と相槌を打った。
「いや、別にどうってことはありませんよ。
ネクタイ・ピンをやっているのは
おじんだけと、ただそれだけのことですよ」

そういって、私はネクタイの下のシャツのボタンをはずして、
中をひらいて見せた。
私はもう四十代から、肌着を身につけない習慣を通している。
これも別にわけがあってのことではない。
私が四十代の時、その時の二十代は素肌にジカに
ワイシャツを着るのがハヤっていると
若者の雑誌で読んだので、
ためしに肌着をやめてみたら、そのほうが具合がよかったので、
それ以来、ステテコと肌着とは縁がなくなってしまったのである。

そういう説明をしたら、
その日のうちに同行者の中でネクタイ・ピンをつける人は
一人もいなくなってしまった。
「ネクタイ・ピンをつけているのはおじんだけ」
というのがよほどひびいたとみえる。
服装のことは案外気にしないようで皆気にしている。
人に笑われないように、
また年齢や姿カッコに似合うように心がけている。
なかでも、年寄り臭く見えることには一番強い抵抗を示す。
肌着やステテコのほうは
まさかその日からすぐ脱いでしまうこともできないが、
少なくとも人の目のつくところで、
年寄り臭く見られるのは誰しもイヤなのである。





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2015年3月20日(金)

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