死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第53回
服装は生活に変化をつける

話が横道にそれたが、カフスはつけなくなっても、
ネクタイは必要である。
タキシードは原則として黒が多く、
カッティングに多少の工夫はこらされているが、
おしゃれのポイントはネクタイできまる。
以前、私は礼服を着る時は
グレー一色の蝶ネクタイときめていたが、
タキシードを変えた機会にネクタイも、
ランバンの黒とグレーの模様のついた
少々派手な蝶ネクタイに変えた。
またエナメルの靴はパリのオペラ通りにある
ピネーという店で買ったが、
いまは少々、窮屈になってしまっている。
少々歩くくらいなら大丈夫だが、遠出はできない。
だから、新しいのにかえようと思いながら、
ミラノやローマに行った時は
いつもほかのことに気をとられているので、
いまだに履く時になってから思い出す始末。
そんなに気にならないていどの窮屈さだからであろう。

地方の結婚式に招待された時は
これら一式を自分のふだんの荷物とは
別に担いで行かなければならない。
「何となくわずらわしいなあ」
という気持ちがしないでもないが、
戦争中の着たっきり雀だった時代のことを思い浮かべると、
「平和な世の中になったもんだなあ」
「豊かな世の中になった証拠だから、
少々、厄介でも、厄介なところがいいんだと思わなくっちゃなあ」
と自分にいいきかせている。

礼服一つ例にとっても以上のようなことになるが、
冠婚葬祭の時に着る物も、
日常生活の時に着る物も同じということになると、
ズンベラボーの生活になって、
生活そのものに変化も潤いもなくなってしまう。

仕事に励み、寝食を忘れ、
お金儲けに夢中になる生活もあれば、
美味しいものに舌鼓を打ち、
美女に見惚れたり、その日何を着るかに
頭を悩ますような神経の使い方をするのも、
生活の中の重要なプログラムである。

どちらによりウエイトがかかるかは、
もちろん、人によって違うだろうが、
年をとりたくないと思えば、
ネクタイ・ピン一本にも気をつけて然るべきであろう。





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2015年3月23日(月)

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