死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第62回
免許証更新をど忘れ

ところが昭和六十二年三月のことだった。
私は昭和三十一年、自動車の免許をとって以来、
ずっと免許証の更新を続けてきた。
実際に、自分で自動車の運転をしたのは、
せいぜい五十歳くらいまでで、
あとはずっと運転手にやってもらうか、
女房に運転してもらっている。
五十代すぎて運転をやめたのは、
考え事が多くて運転しながら、うっかり事故を起こしては、
と周囲からとめられたからであるが、
実際に運転手に運転してもらうと、
車中で読書もできるし、原稿も書ける。

ロールス・ロイスなどに乗って賛沢だと思われるかもしれないが、
ロールスだとあまり揺れないので、
車中でも仕事ができる。
道の混雑している時など、自分で運転する人はいらいらしたり、
退屈したりするが、私は鞄の中から原稿用紙を取り出せば、
あとは目的地に着くまで別の世界に入り込み、
気がついて、「おや、もう着いたのか」ということになる。

そういったことで、
いつの間にかペーパー・ドライバーになりさがってしまったが、
折角、免許は持っているのだし、
必要な時はいつでも運転できるにこしたことはないと思って、
誕生日のたびにずっと免許証の更新は続けてきた。
それが昨年の誕生日前に限ってうっかりど忘れしてしまった。
本当は、免許の切れる少し前に、
いつも更新の手続きをしてくれている代書から、
「免許更新をお忘れなく」というハガキが来ていた。
ところが、あまりの過密スケジュールでやりすごしてしまい、
運転手から注意を受けたときは
もうすでに誕生日をすぎたあとだった。

二週間以内なら鮫洲に行けば、更新の手続きは可能だといわれた。
私もそうする積りだった。
ところが、家内は
「どうせもう自分で運転することはないのだから、
必要ないんじゃないの?」と平気な顔をしていう。
十年以上も私が運転しているのを見たことのない
家内にしてみれば、それはごく自然な反応かもしれない。

いわれてみればたしかにその通りで、
自分ではいつでも運転する積りでいても、
四台替わったロールスの二台目から
以後は自分でハンドルを握ったことが一度もない。
台湾でも、リンカーン・コンチネンタルが二台、
BMW745、ベンツ560と車が三台替わったが、
これまた自分でハンドルを握っていない。
車を替えることは今後も何回かあるだろうが、
五十代でもハンドルを握らなかった者が六十代七十代になって、
また再びハンドルを握ることは
あまり可能性がないのではなかろうか。

私の場合は、「ここが自分の骨を埋める土地」
という発想が欠如しているから、
将来、またどこの国に移住するかわからない
という気持ちが心の片隅にひそんでいる。
将来、もしアメリカか、オーストラリアのような国に移住したら、
また再び自分で
ハンドルを握らなければならなくなるかもしれない。

タイやフィリピンにでも移住するのなら、
人件費の安いところだから、
お抱え運転手の一人や二人雇うくらいのことはできるだろう。
現在の収入を今後も維持できるなら、
アメリカへ行こうと、ヨーロッパへ行こうと心配はないだろう。
いわんや、今後もなお円高が続くとすればなおさらのことである。
だが、世の中には万一ということがある。
万二何もかも失って、
家と自動車を買うのがやっとということになったら、
ふつうのアメリカ人と同じように、
じいさんになっても自分で運転するよりほかなくなる。
そういう時のことを考える気持ちが
いつもついてまわっているので、
ついつい運転免許はまだ必要なんだと思い込んでしまうのである。





←前回記事へ

2015年4月13日(月)

次回記事へ→
中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」

ホーム
最新記事へ