死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第63回
人生の黄昏を意識する

しかし、よくよく考えてみれば、
運転免許はもう私にとって不必要なものである。
年中、海外旅行をしているけれども、
また海外で多くの事業をやっているけれども、
いまさらこの年になって、
日本、台湾、香港以外の土地に住むようなことはほとんどない。

若い時分のように、政治亡命に追い込まれるような
振舞いをすれば世界中あちこち逃げまわらなければならないが、
今は米ソ間でさえ雪解けムードのさ中にあり、
自分自身にも政治的野望はなくなってしまったのだから、
時の権力者と正面衝突をする可能性はなくなってしまった。
あるとすれば、事業に失敗して
親戚知友に顔向けができなくなった時くらいなものであろう。

そういうことに対してはふだんから人一倍神経を使っているから、
それも起こり得ないとすれば、
そもそもまた再び自分で自動車の
ハンドルを握るチャンスはないと考えるのが順当であろう。
気持ちの上では、すぐ承服できたわけではなかったが、
さすがの私もリクツに負けて
ついに運転免許の更新を断念することになった。
人からみれば、何でもないことだが、
私にとってはかつてないほどショッキングな出来事であった。
というのは、六十代の今日まで、
私は自分の財産でも、家族でも、友人や部下でも、
また著作や箪笥の中の衣類でも、
ふやすことはあっても減らす経験をしたことが
一度もなかったからである。
たかがドライバー・ライセンスと思うかもしれないが、
もうこれから自動車を運転することはないのだということを
自分に納得させることは、
人生の黄昏を意識することにほかならないのである。

ドライバー・ライセンスなど、
死ねば何の役にもたたないものである。
私の周囲でも、私よりひとまわりも若い友人が
最近バタバタと何人も死んだ。
私の家へ食事に来たことのある同年輩の友人たちの計報も
新聞でみるようになっている。
死の病の床に臥したら、恐らく誰も
ドライバー・ライセンスのことなど思い浮かべたりしないだろう。
自動車にライセンスが不要になるのと、
不要になったから、更新に行かないのとでは、
死ぬほうがずっとショッキングであるにきまっている。
しかし、四肢健全な状態のもとで、
運転免許をこちらから辞退するような状態になった
ということはいよいよ下り坂の人生が
はじまったということにほかならない。
登りつめて終わりに至るのではなくて、
いよいよこれから一枚ずつトランプの札を切って
行かなければならないとすれば、
そのための覚悟も知恵も要求されると
考えなければならないだろう。





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2015年4月15日(水)

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