死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第78回
変化のある環境をつくり出す

それを防ぐ方法としては、
一つは記憶装置の使用範囲を年と共に狭めて行くような生活を避けて、
呼び出す内容を減らさず、呼び出す頻度も減らさないように、
絶えず機械を酷使して、錆つかないようにすることだろう。

もうーつは、もうそろそろ減価償却の終わる古びた記憶装置であっても、
古いテープの上から次々と新しい録音をして行くことであろう。
録音があれば、再生がある。
録音の対象がなく、いつも同じことのくりかえしになると、
機械が居眠りをしてしまう。
従って次々と録音したくなるような光景にぶっつかれば、
機械はよく動くし、それができるためには
自分からすすんで変化のある環境をつくり出さなければならない。

新しい仕事を手がけるのも変化を生み出す方法のーつである。
新しい仕事が次々と控えていると、それが頭の痛い内容のものであっても、
人間はボヤボヤしているわけにはいかない。
私などは三十九度の熱を出していても、
いったん、演壇の上に立つと、シャンとなって姿勢までよくなる。
だから、常に新しい仕事をつくり出すか、
新しい趣味を身につけて、それに熱中する必要がある。
だがサラリーマンには定年制があって一定の年齢になると、
会社からおっぽり出されてしまうし、
その後は満足の行く再就職先にありつけないことが多いから、
第二の人生に生き甲斐を発見できる人はあまり多くない。

幸いにしてそれができた人でも、
大体、七十歳くらいになると、
人が仕事を持ち込んでこなくなる。
やりたくても、世間が相手にしてくれなくなると、
仕事のチャンスはいよいよ少なくなる。

恐らくそういう時期が
やがて私自身の身辺にも迫ってくるであろう。
先輩たちをみても、芸術院会員になったり、
学士院会員になったりしているが、
ジャーナリズムの第一線からいつの間にか、
名は消えてしまっている。
そのうちに、私のところへも電話がかからなくなり、
ついにあらゆる雑誌や新聞から
私の名前が消える時が来るだろう。
その時の準備はすでにできている。

まず収入がなくなった時のために定期収入を得る方法は、
三十代から心がけてきたので、
厚生年金をたよりにしないでもよいようになっている。
次に書いたり喋ったりする仕事がなくなったら、
旅行に行くことにきめている。
今でも私は一年の三分のーを海外旅行に費やしているが、
仕事が忙しいためにすぐ帰って来なければならず、
一つところにせいぜい二日か三日しかおれない。
折角、ヨーロッパへ行っても、
三カ国も五カ国も駈け足でーまわりして帰ってくる。
本当はフランスならフランスの田舎を、
イタリアならコモ湖のあたりとか、
マフィアの生まれ故郷をのんびり泊って歩きたいのだが、
それだけの時間の余裕がない。

しかしそのうちにジャーナリズムからお呼びでなくなれば、
時間はいままでよりはあるようになるはずだし、
一回の旅行の期間を長くすることも可能になる。
いままで行きたいと思いながら、
行けなかったところがまだたくさん残っているので、
その空白を埋めていく仕事がまだ残っている。





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2015年5月20日(水)

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