死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第79回
後進の養成は先輩のつとめ

第三に友だちを変える。
友だちには古くからの友人もあれば、
新しい友人もある。
友人は古いほうがいいといわれるが、
それは気心が知れていて、何を喋っても
感情を害したりしないですむ相手の場合に限る。

若い時は、旧制高校時代の友だちのほうが、
大学時代の友だちよりも親しみがあるとか、
利害関係のない友だちのほうが
商売の関係でつきあうようになった友だちより長持ちするとか、
色々と教えられてきたが、
人生も友だちづきあいも三十年、五十年たってみると、
遠くにいる友だちはだんだん友だちでなくなるし、
道を同じくしないようになれば、
無二の親友だった人も親友でなくなってしまう。

何十年ぶりで会ってみると、容貌もすっかり変わってしまっているし、
それ以上に物の考え方のテンポがあわなくなってしまっている。
環境に飼い慣らされるというか、
環境が人をつくるというか、
順調な人生を歩んだ人と屈折の多い人生を歩んだ人では、
人生観や変化に対する対応カにまで大きな違いが出てくる。

そういった意味では、「一見、旧知のような間柄」
というように、新しくできた友だちでも、
波長がうまくあえば、何十年来の友だちのように仲好くつきあえる。
歳月の積み重ねより波長のあうことのほうが大切で、
波長があうためには、環境が似ているとか、
収入がほぼ同水準にあるとか、
趣味噌好に共通点があるとかいった条件が
必要なことはいうまでもない。

いままでずっとつきあってきた友人の中でも、
波長があえばこれから先も同じようにつきあっていけるが、
波長があわなくなれば、しぜんに互いの姿を見失ってしまう。
反対に、交際の範囲内に新しい人たちが現われ、
それが親しい友だちになる。

友人が変わることは決して不自然なことではなく、
むしろ進歩している証拠である。
私の場合は、ほぼ同じ地位や同じ年齢の友人よりも、
自分より年が若く、感性も、
住んでいる世界も違う人たちを新しい友人に選ぶ。

世代の違う人とつきあうと、
同世代としての共感はないかもしれないが、
違う世界に移住したような新鮮さがある。
新しい驚きがあると、それが刺激になって
調子の悪くなったエンジンがまた動き出す。
第四は後進の養成をすることである。
後進というからには、自分より若い世代のことであり、
その中には自分の後継者である息子たちも入るが、
後継者は身内だけとは限らない。
仕事を中心にして物を考えれば、
仕事を継ぐに適した人が後継者であり、
そういう人間をつくる仕事が先輩になった人の次のつとめである。
自分の親の仕事を子供たちが従順に継承しているのをみて、
私はむしろ驚きさえ感ずる。
よくも心理的な抵抗を感じないで生きておられるものだなと感心する。

私自身が親のあとは継がず、
自分勝手の道を歩んできたせいもある。
継ぐに値する家業が我が家になかったせいもある。
まして私のような文筆稼業を子供に継がせることはできないから、
はじめから「親のあとは子が継がないもの」ときめてかかっている。
しかし、世の中は必ずしもそうではない。
何代も続いてきた家業を子供に継がせたがっている人もあれば、
一代で大きなスケールまで自分の会社を築きあげてきた人が
自分の息子にあとを継がせたがっている光景もしばしば見かける。
親がそれを望むのは心情的に理解できる。
しかし、子供がどうしてそれを受け継ぐ気になるのだろうか。





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2015年5月22日(金)

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