死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第80回
後継者は他人のほうが効率がよい

徳川時代なら造り酒屋の息子は造り酒屋になる。
材木屋のせがれは材木屋になる。
それ以外にこれはといったメシのタネがないのだから、
それはそれで納得させられる。
しかし、今のようにチャンスの多い時代に、
どうして自分の可能性に挑戦しないで、
おとなしく家へ帰って家業を継いだりするのだろうか。

ほかにたいして取柄のない息子だから、
ということも考えられる。
いろいろ試してみた末に、
やっばり自分には大した才能がないとあきらめて親のもとに帰って
家業を継ぐというケースも考えられる。
親の築いてくれた基礎であってもその上に、
事業を伸ばす新しい工夫ができれば、それはそれなりに才能である。
しかし、自分は不承不承ながら親のあとを継ぎ、
町一番のハヤる店につくりあげてきた人が、
また自分の時と同じように
息子にあとを継がせようと思ってもそうはいかないだろう。
事業も、財産も一代限りのもので、子供があとを継ぐことはないのが当たり前で、
もし継ぐ人があれば、それはそれに興味を持ってくれた赤の他人である、
と考えたほうがいまの時代に合っている。

いまの我が家では子に継がせるだけの事業がないわけではないが、
子供たちはそれぞれ勝手な事業をやっている。
本人にとっても新しい仕事だが、私から見ても新しい仕事である。
だから、いずれ本人たちが独り立ちできるように、
力を貸してやるくらいのことは親の義務と心得ている。
もちろん、子供に親の仕事を手伝わせたり、
子供が仕事のできるように訓練する仕事は、
それなりに有意義なことであるが、冒険をしたり、
自分で自分を訓練したりするより面白いものではない。
子供がこちらの思い通りに動いてくれるとは限らないし、
子供がその仕事に向いているとも限らない。
それを承知で無理をするよりも、子供たちは自分たちの自由勝手にやらせ、
自分の仕事の後継者はよその息子にやらせたほうが効率はいい。
つまり事業を中心とした物の考え方でいったほうが、
血縁を中心とした物の考え方でやるよりも、納得できるのである。

大きくなった企業では、人材養成が社長の息子の訓練に優先する。
あとを継ぐにも値しない中小企業ほど身内を優先させる。
残念ながら身内が独創業の開発してきた企業を
守っていくだけの才能に恵まれているとは限らない。
とすれば、身内は好きなようにさせ、
自分の後継者は自分の仕事を手伝ってくれた人の中から選ぶ、
というやり方があってもいいはずである。

私はそう考えているので、新しい事業をはじめるたびに、
手伝ってくれる人を若い人の中から選んで、
それぞれの仕事を担当してもらった。
それもなるべく、その仕事に対してズブのシロウトの中から選んだ。
なまじ多少の経験をもっていると、
つい経験に頼りがちだが、ズブのシロウトだと固定観念を持っていないから、
こうすればいいじゃないか、というと、
なるほどと素直にきいてくれる。
それが新機軸になって、業界に新風を吹き込むことになる。

いままで通ったことのない道を、
はじめてハンドルを握って走るようなものだから、
スリルの連続であり、頭の中で古いテープが空まわりをしている余裕などない。
若い人にとってはすべて新しい体験だが、
私の場合は、頭の中の古くなったテープの上に
新しく録音をしているようなものである。
その再生をやっている間もなく、すぐ次の新しい録音がはじまるから、
「老いのくりごと」などやっているヒマがない。
同じコースを行ったり来たりしないことが、
頭の中のテープレコーダを空まわりさせない秘訣ではないかと思う。





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2015年5月25日(月)

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