死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




解説 その1
大宅映子

邱永漢さんほど、波潤万丈の人生を送った人があろうか。
邱永漢さんほど、守備範囲の広い人があろうか。
邱永漢さんほど、皆とは違う発想を説いて説得力のある人があろうか。
邱永漢さんほど、好奇心旺盛でかつ実行力に富む人があろうか。
邱永漢さんほど、お金儲けがうまく、かっ使うのもうまい人があろうか…。
以下、いくらでも続けられる気がする。
これが私の邱永漢観である。

その邱さんが、いま日本人にとって
最大の関心事である老後をどう生きるかを説くのだもの、
参考にならないわけはない。
そこで、邱さんと私との関係を、とりあえずお伝えしておこう。
邱さんと亡くなった父、大宅壮一とは、かなりウマがあったらしく、
邱さんの本の中にも、よく父にこう言われた、
といった著述が出てくる。
ただ父は家に帰って、自分の体験や出会った人の話を
家族に話すタイプではなかったので、
存命中に、直接父の口から人物論などは聞いたことがない。
でも邱さんに関しては忘れられない話がーつだけある。

それは邱さんが毛生え薬を本気で売り出した頃のことである。
外出から帰って来た父がニヤニヤして
「邱永漢がね、毛生え薬を売り出すっていうんだよ。
あんなに頭のいいやつでも、ハゲというと駄目なんだな、
馬鹿なことをやるもんだ。イヒヒ、…」とさもおかしくてたまらない、
という風情で笑った。
あの顔は忘れられないのである。

この本の中でも、文藝春秋の池島さんも同じように、
”頭のいい人が・・・”と表現しているのを発見して、
懐しく父の笑い顔を思い出した。
私が中学生の頃のことである。

父が亡くなって、私もマスコミに出るようになってから、
何度かお話するチャンスにも恵まれ、また講演をお願いしたり、
邱飯店として有名なご自宅で、
お食事をごちそうになったこともある。

そんなおつき合いの中で、
つくづく感心するのが邱さんのユニークな発想と、
パワーとユーモアである。
こんなに楽しく人生を送っている人を見たことがない。
そのパワーの源を分析していくと
波潤万丈の人生の中で叩かれ打たれて強くなったのだな、と思う。
まるで鉄のように。

そもそも生まれ自体が純粋培養ではない。
福建省生まれの父上と、久留米生まれの母上とのミックスである。
生物学上からいってもミックス・ブラッドは強いのである。
著者略歴はほんの三行でしかないが、
その三行の間に、普通の人の一生分ぐらいの
複雑極まる人生を重ねているのである。
台北高校入学一つとっても、当時台湾人の入学枠は限られていて、
全国各校でトップの生徒の中から二百倍の倍率で合格した、と聞いている。
戦争中に内地に来て、東大で学んだ後、台湾に帰り銀行のサラリーマンを一年。
台湾独立を主張してあやうく逮捕される所を香港に脱出。
無一文から、香料と薬で一儲け。
でも安定するには至らず、今度は小説家を志して
一九五四年、新妻を伴って日本へ帰国する。

確かこの時、こうもり一本とバッグーつだった、
と聞いたことがある。
小説を書き出してすぐ候補に挙がり、
一九五六年には直木賞受賞。
ところが注文はほとんど来ない。
日本人論などを売り込みに行き書かせてもらう。
何と流行歌の作詞までしたという。

その2へ続く





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2015年7月17日(金)

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