死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第100回
金銭的に一人立ちできない若者がふえている

最近は一人っ子がひじょうに多くなっています。
その結果、子どものわがままを容認する親がふえ、
同時に子ども一人当たりの教育費が
相当な金額になっているようです。

子育てほど、親にとってわりの合わないものはありません。
そろばんで損得勘定をはじくとしたら、
いまの時代は子どもを育てても、
ちっともトクなことはない。
それでも子どもを生み育てるのは、子育てがもともと、
金儲けを度外視したものだからでしょう。

子どもに家あるいは家業を継いでほしいと思うのは、
いつの時代にも変わらない親心です。
むかしに比べればずいぶん少なくなりましたが、
自分が死んだ後のことをいろいろ考えると、
やはり後継ぎがいたほうが安心だ。
でもそんなに多くはいらない。
子どもは一人か二人という家庭が圧倒的に多くなったんですね。

しかし、もともと子どもを
経済的動機によって育てているわけではありませんから、
経済的にしっかり訓練する親は少ないんです。

最近はますますその傾向が強くなっています。
むかしのように子どもの数が多ければ、
親の訓練は十分には行き届かないけれども、
子どもたちはそれぞれが自分のことは
自分でやるという精神で育ちます。
それが一人っ子になると、どうしても温室育ちになる。

「可愛い子どものために」と親のほうが何でもやってしまうから、
子どもはなかなか一人前になれない。
それでいて親というのは、
子どもに一日でも早く一人立ちできるような
人間になってもらいたいという願望を強く持っているものです。

世間の親を見ていると自分の子どもに対して、
「自分のような苦労を味わわせたくない」
という気持ちと、
「少々苦労をさせなければ一人前になれない」
という気持ちが同居しているようです。

お互いに矛盾した願いを持っているのだから、
子どものほうだってたいへんです。

現代っ子というのは、親が考えているよりも、
案外、世の中の動きを見ています。
金銭万能と思い込んでいる子も多い。

この「お金がいちばんたいせつ」という感覚は、
かならずしも経済感覚と同じものではありません。
経済感覚とは、お金に対する人間の欲望を
コントロールする感覚です。

親は、子どもに小づかいの使い方を通じて
経済感覚を教え込まなければならないのですが、
こと、志と違って理性なくお金を与えて、
ますます子どもの経済感覚をマヒさせたりします。

欲望のコントロールとは、
ほしいモノを何でも与えることではなくて、
欲望を充足する手段とうまくバランスをとらせることです。

ひとつのモノを手に入れれば、
他のモノは犠牲にしなければなりません。
何を犠牲にし、何をとるかを選択するかが、
お金の上手な使い方に通じます。

小づかいの使い方を通じて
そういう選択を教え込むことが金銭教育です。
もっとも、親に経済観念がなければ、
子どもに経済観念とは何かを教えるのは、
やっぱりむずかしいでしょうね。





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2013年7月13日(土)

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