中国株・起業・人生相談・Q&A-ハイハイQさんQさんデス-邱 永漢

「生きる」とは「自由」とは何か

第三章 海の砂漠(3)

その3

疑われても仕方はないが、
それだけにますます孤独になる気持をどうしようもない。

ある日、海から上がった金竜は大きな声でわめきちらした。

「畜生!なんだってこう冷たいんだ」
彼は海に向かって怒鳴っているふうだった。
酒をあおるようにのんでも、
まだ身体のふるえがとまらなかった。
どんよりと曇った寒い日で、
ボートの上にいる春木はメリヤスを着ていても
酒を飲まずにはいられないくらいだった。
しかし、その日は莫迦に成績がよくて、
魚龍の中はもう五十斤をはるかに越えていた。

「さあ、もうひとふんばりふんばるか」
そう言って、金竜はまた海の中へ入って行った。

太陽がすっかり海に落ちてしまうと、
潮の音が急に大きくなってきた。
それは人間の青ざめた欲望、
もう永遠にかえらぬ夢への妄執、
さては殺されてもまだ諦めきれぬ人生への未練のように
絶える間もなく続いている。
ふっと春木は砂漠の中に
突然ひとりだけ取りのこされたような幻覚に陥った。
この彼の幻覚に油を注ぐもうひとつの出来事があった。
それは酒量が嵩むにつれて
魚龍の中でひしめき合う
伊勢海老のあがきが耳につきはじめたことである。

彼は耳を覆った。
だが海老の断末魔のあがきはますます激しくなった。
おお、鈍感な伊勢海老よ。
お前たちは海の底の生活にはもうあきあきしたのか、
それとも海の底の生存競争に敗れて
荘然自失しているところを捕虜になってしまったのか。
それとも自らすすんで死への道を急いだのか。
おお、哀れにして愚かなる海老どもよ。
もし自ら選んだ道であるならば、
なぜいまになってからじたばたするんだ。
お前たちの運命はもう尽きているのだ。

ところが、伊勢海老には酔漢の気持など全然通じないとみえ、
相変わらずガリガリいっている。

「うるさいぞ」
春木は狂気のごとく魚寵を揺り動かした。
上のほうへ一這い上がっていた海老がもんどりをうって
下にくたばっている仲間の上に転落した。

「お前たちは晩餐に十ドルを出すことのできる
階級の餌食になるんだ。
見事な鮮紅色になって、行儀よくサラダ菜の上にのっかるんだ。
いまごろになって、暴れたってはじまらんぞ」
そう叫んだのは彼自身であったが、
彼は誰かにそう言われたような気がした。

そうだ。
俺はもがいているのだ。
この暗闇の砂漠の中で、たったひとりでもがいているのだ。
俺の頭の上には今夜という今夜は星さえも光ってくれない。
俺は方向を失い、人生への希望を失い、
愛の遺言を伝えるべき恋人にもついにめぐり合わず、
こうしてこのまま永遠に人間の社会から葬り去られ、
忘れ去られてしまうのだ。

「誰だ!誰だ!この俺をここへ置去りにしたのは誰だ!」
彼はボートの上に棒立ちになった。

と、その時、不思議にも海岸に点々と明りがきらめくのが見えた。
寒そうに点滅する光であったが、
まるでそれが神の啓示でもあるかのように彼の胸はときめいた。
ほとんど本能的に彼はオールをつかんでいた。
油のきれたような悲鳴をたてながら、
オールは勢いよく動きはじめた。
海の音はもう耳につかなかった。
「おーい。おーい」
と海のどこかで叫んでいるような音が聞こえる。
たしかに、春木はそれをきいたような気がする。
しかし、彼はふりかえって見ようともしなかった。

「砂漠の王者よ、さようなら」
彼は暗闇に向かってそう叫んでいた。





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2012年7月8日(日)

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