至福の一皿を求めて おいしさの裏側にある話

第49回
「幻の…」を食べる喜びと不安

日本人特有なのか、人間そういうものなのか、
「幻の…」という言葉は
購買意識を大いにくすぐるようです。
幻のワイン、幻のグラッパ、幻のバルサミコ……。
もちろん本当に「幻」なわけはなく
たいていの場合
期間が限定されていたり、少量生産のため
手に入りづらいということが「幻」たる所以です。

そういう意味ならば
スローフード大国イタリアには、なんと
「幻」が多いことでしょう。
家族で、手作業で作っている。
村の人の分だけ売っている。
果ては、材料が余ったときだけとか
気が向いたときだけ作るものまであるのですから
ちょっと歩けばすぐお宝に当たります。
「幻」は彼らにとって普通のことなのかもしれません。

しかし、ささやかな普通に「幻の…」という冠が被せられ
流通ルートに載せられたとたん、私たちはそれに殺到します。
情報を手に入れた者が、それに手を伸ばすのは
当然のこと。
ただ一方では、なぜか自分が漠然と
不安感を感じていることに
気づいている人も多いのではないでしょうか。
なんというか、食物連鎖の掟を破るような。

自分が飛びついたように、みんなが飛びついて
大量の商品が必要になったり
少数のままでも高額な値がついたり。
それでも生産者は今までのやり方を守り続けていけるのか。
自分が飛びつくことは、
壊すことにつながってしまうのではないか、と。

ピエモンテ州の「幻の」チーズと言われる
カステルマーニョは、
クーネオ県のカステルマーニョ村という小さな村で、
夏の放牧期にだけ製造されます。
そのうえ作り方はじつに手間がかかっていて
熟成も洞窟の中で自然に、ゆっくり、数ヶ月かけて行われるとか。
ゆえに、30種あるイタリアのDOP(チーズの原産地、素材、製法、
熟成期間などを規定し、保証するもの)チーズの中でも
最も生産量が少ないそうです。

食べてみれば、しっとりホロホロの食感で
独特の酸味が何とも言えぬおいしさです。
私は最初イタリアでめぐり合えましたが
この前、日本のリストランテに置いてあって驚きました。
現地のリストランテでも、
あったりなかったりするチーズが今ここにある。
もちろん食べるしかないと言って
チーズを堪能した後、
案の定と言うべきか、あの不安感が襲ってきました。

食べるくせに不安になる、というのはじつに往生際が悪い。
じゃあ食べないかというとそれもできない。
食べるなら、晴れ晴れと頬張りたい。
では、
この不安感を払拭する方法は何かと考えたとき
「幻の…」でなく、
普通に少ししか作れない、作らないやり方に感謝しながら
土地の人から少しだけ分けてもらう
という気持ちでいただくことなのかな、と
最近思っています。


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2004年2月26日(木)

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