至福の一皿を求めて おいしさの裏側にある話

第56回
蔵元訪問・天の戸1 雪の酒蔵へ

第27回で、『天の戸 美稲 特別純米 ひやおろし』を飲み
「こういうお酒を飲むと、たまらなく
造った人に逢いたくなってくる」と書いた私は、
1月の終わり、雪がふわりふわりと落ちる
横手駅に立っていました。

かまくらで有名な秋田県横手市は、県内でもとくに
雪深い地域です。
『天の戸』の蔵元、浅舞酒造は
その横手駅からクルマで20分ほど走った
平鹿郡平鹿町にある1000石の小さな蔵。
大正6年創業の木造家屋は雪国らしい、頑強にして
風格のある佇まいで、
軒先には太い氷柱が垂れ下がり、道の向こう側には
誰が作ったのか、雪だるまがちょこんと座っていました。

クルマを降りると、
ちょうど立ち去るお客にニコニコと手を振っている人がいます。
それが杜氏(とうじ)の森谷康市さんでした。
森谷さんは、1957年生まれの若い杜氏です。
地元に生まれ、大学を卒業後農家の跡を継ぎ
中学の同級生だった浅舞酒造の
柿崎社長(当時は次期専務)に誘われて
24歳で酒屋若勢(さかやわかぜ。蔵人のこと)になり、
杜氏となったのは32歳のとき。

杜氏とは酒造りのトップに立つ人、
いわば最高指揮官であり、責任者です。
全国には、
岩手県の南部杜氏、新潟県の越後杜氏、兵庫県の丹波杜氏を
はじめとする杜氏の集団があって
力のある杜氏は全国の蔵元に請われて行きます。
ちなみに秋田県の日本酒は、県内平鹿郡山内(さんない)村の
山内杜氏がほとんどだそう。

職人である杜氏は徒弟制度で、かつては
いぶし銀の大御所が務めるイメージでしたけど
ここ数年は、若い世代が
とても目立つようになってきました。
杜氏の老齢化や、蔵元の経済事情など
さまざまな要因があるといわれていますが
なにはともあれ、
日本酒の需要が減って酒蔵が次々と廃業し
瀕死の重傷を負っているこの業界で、
若い杜氏たちが
試行錯誤を繰り返しながら造り上げる日本酒が
高い評価を得ていることは
ちょっとした奇跡であり、希望です。

浅舞酒造も一時は廃業、そして再開し
試行錯誤の時代を経て
1991年には全国新酒鑑評会で金賞を受賞。
以後5年連続受賞というのは、
秋田県で初めての快挙だそうです。

『天の戸』は、昔ながらの設備を使って
ほとんど手作業で仕込まれます。
森谷杜氏曰く、設備投資する予算がないからで
「これが逆に功を奏する場合もあるんですよ。
設備がない分、人の手がいるでしょ。リストラでなく、
逆に人を集めて作業しなければならない。
だからここは小さい蔵のわりに人手がいるんです」
と教えてくれました。
いわば、時代に逆行する酒蔵でしょうか。

森谷杜氏は、自身の酒造りを「マラソンに似ている」と言います。
マラソンの最後、トラックに入ると
トップの選手の前に周回遅れの選手が出てきて、
まるでトップを走っているように感じられることがある。
1位は間違いなく1位なんだけれど、
見ようによっては
周回遅れが注目されるというおもしろい現象になる。
近代設備の酒蔵がトップの選手だとしたら
この周回遅れの選手が、浅舞酒造なのだそうです。


「天の戸」浅舞酒造

森谷康市杜氏

 


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2004年3月8日(月)

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