至福の一皿を求めて おいしさの裏側にある話

第80回
正しいサービス、好きなサービス

「店の論理でなく、客の論理でものを考える」
というのは、
ある店のマネージャーの言葉ですが
サービスに携わる人達の話を訊くと
「お客様に気持ちよく過ごしていただけるよう……」
と、口を揃えます。
誰ひとり「お客様の立場」を考えない人なんていない。
みんながみんな、
人のために、サービスをしたくて
その仕事に就いた人たちなんだというのが
伝わってきます。

ではなぜ、客が求めるサービスと
店側が提供するそれの間に
ズレが生じるのか。
その人の想像力、人柄、資質に加えて、
「お客様」という対象を考えるときの
根っこそのものが
違うような気がしてならないのです。

そもそも「お客様」は
一人ひとり違う人間です。
それはきっと百も承知でしょうが
頭では考えているつもりでも
「お客様」はこうして欲しいもの、と
サービスする側が勝手に決めているふしがある。
自分で決めた
得体の知れない「お客様」に対して
勝手に縮こまっているようにも思えます。
思いこみを捨てて
現場で、一人ひとりの顔を見て動いている人と
そうでない人のサービスは
歴然と違います。

あらためて、いいサービスって何だろう?

私が求めるのは
「お客様に失礼のないサービス」でなく
結局のところ
「いい時間を一緒に過ごせる仲間」です。
もちろん、
食材やお酒や料理に関する知識や
人としての礼儀など、基本は基本として
誤解を恐れずに言うなら
たとえ失礼があったとしても
それより好印象がもてる何かがあればいい。

いいサービスを考えたとき、私の頭に浮かぶのは
なぜか
ちょっとだけほころびのあるサービスです。
熱すぎて笑える居酒屋の店員、
気は利かないが一生懸命が伝わるカメリエーレ、
ワインを楽しげに語りすぎて反省していたソムリエ。
しかし
私は彼らと一緒に
忘れられない時間を過ごしました。

正しいけど嫌い、間違ってるけど好き
ということがこの世の中、多々あります。
私が人を好きになるとき
決して
こうあるべき、あれは駄目、ここが欠けている
という減点法の、残った得点の高い人と
恋に落ちるわけじゃありません。
というわけで
私の場合は、ですが
「ああ、この店好きだな」
と思える店に、無条件に足が向く傾向があるようで。


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2004年4月9日(金)

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