石原新さんが歩む21世紀型日本人ビジネスマンへの道

第7回
約50年ぶりの再上陸

私ごとになりますが、
私の曽祖父は九州は大分の出身で、
日本が台湾を統治していた時代、
総督府の税務関係の役人として彼の地に渡っておりました。
新竹や高雄などの任地をまわった後、
定年後は永住するつもりで台北市内に家を持ったようですが、
敗戦とともに引き揚げざるを得ませんでした。

それから50年あまり後の1999年11月下旬に、
私はセンサーテック社からの事業移管実務のため、
台湾の地に初めて降り立ちました。
今となってはその第一印象はかなり希薄化してしまっていますが、
日本で言えば初冬の頃というのに
妙に生暖かい空気と、どんよりとした曇り空、
それに中正国際空港から台北市内に向かう高速道路上で、
路側帯に止まっている車が
ボンネットから火を噴いているのを車中から見たその光景を、
なぜか憶えています。

現地では、合併した半導体商社の契約社員をしていた
台湾人のリチャードさんが、我々を出迎えてくれました。
リチャードさんの家族は、
親の代に中国東北部から国民党とともに台湾に渡ってきた外省人で、
数々の事業を手がけていたお父さんは既に引退され、
奥様・妹さん夫婦と一緒に
カナダに住まわれているということでした。
彼が大変なお金持ちだということは聞いていましたが、
どうして日系商社の契約社員などしていたのだろう、と
その時はいぶかしく思ったものでした。

さて、前回も触れたように、
事業移管にあたり最初の難関は
台湾に現地法人を設立することでした。
日本での会社設立であればいざ知らず、
現地の事情について右も左もわからない我々は、
まずわが社の顧問会計士から紹介された、
大手の日系公認会計士事務所を訪ねることにしました。


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