石原新さんが歩む21世紀型日本人ビジネスマンへの道

第23回
アメリカに住みたいか、高い給料欲しいヒト達が技術者に

ビンセント李(リー)の紹介で
台湾小倉の総経理となったミン徐(スー)と
第一号社員であるリチャード譚(タン)さんは、
早速人材集めにとりかかりました。
彼らの人脈を頼って、購買、経理、営業、品質保証担当、
等を引き抜いてきました。
一通り売り買いがこなせる体制が出来上がりましたが、
問題は、製品開発を担う技術者を
どうやって雇うかということでした。

台湾では、お金に余裕がある家庭、
あるいはお父さんがハイテク系技術者の場合、
カナダの永住権を申請して、
お父さんは台湾で働き、奥さんと子どもたちはカナダに住む、
というケースが結構見受けられます。

これはもともと、台湾と中国大陸との政治的問題を嫌疑して、
中共に軍事侵攻を受けた場合の逃げ道を作ろうと、
国民政府のエライ人たちが
自分たちの子弟をアメリカに留学させたのが始まりと聞いています。
その後、アメリカの入国管理基準が厳しくなったので、
最近では移民先がカナダに変わってきているのでした。

カナダでは子弟に英語教育を受けさせ、
アメリカの大学へ進学させます。
大学ではコンピュータサイエンスを専攻するのですが、
なぜなら、アメリカのIT系会社への就職のチャンスが広がり、
うまくいけばそのまま
グリーンカード(永住権)を獲得できるからです。
台湾へ戻った場合でも、
民主化に伴い一足先に里帰りした先輩たちによって勃興した、
ハイテク産業に従事できる可能性が大きいのでした。
これらの会社では、儲かったら給料一年分のボーナス、とか、
ストックオプション等の金銭的好待遇をエサに、
有能な技術者の引き抜き合戦が日常化していました。

日本では、最近になってやっと、
自分の研究開発成果が金銭面で正当に評価されないと
会社を訴える技術者が現れていますが、
台湾の技術者たちはそんな会社にはさっさとオサラバして、
良い条件を出してくれる会社へどんどん移っていくのでした。
そんな彼らの目には、台湾小倉は無名も無名、
何の魅力もない会社と映ったのでした。


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