金銭読本 邱永漢

「人とお金」を批評する

第7回
貯めるということ その2

これは中国の笑話であるが、
ある人が金持の家を借りて客をした。

そこを通りかかった近所の人が「おや、珍しいですね」というと、
金持の家の下男が笑いながら「うちの主にご馳走になりたいなら、
来世になってからいらっしゃい」と答えた。
それをきいた金持は下男を怒りつけて
「勝手な約束をする奴があるか、バカ!」。

またこんな笑い話もある。

ある金持の老人が債務者一同を自宅へ呼び集めて言った。
「お前さんたちが本当に貧乏で、金を返すあてがないなら、
儂に向って誓いを立てなさい。
来世になっても儂に返すと誓うなら、
証文を焼いてしまってもよい」。

そこで債務者の一人が言った。
「私は来世は馬に生れ変って旦那をのせてこの借金を返します」。
老人はうなずき、証文を焼いた。

次の男はこう言った。

「私は来世は牛になります。
牛になって旦那のために鋤をひっばって
田圃を耕し借金を返します」。

老人はまたうなずいて証文を焼いた。

ところが一番最後に一番借金の多い男が、
「私は来世は旦那のお父さんに生れて来て
借金を返したいと思います」と言ったので、
老人はすっかり腹を立ててしまった。

お前のおやじという表現は
相手に対する最大の侮辱なのである。

しかし、その男は少しも騒がずに
「まあ、よくきいて下さい。
私の借金はとても沢山で、
牛や馬になったくらいでは到底かえしきれません。

そこで私は来世は旦那のお父さんに生れて来て、
生涯骨身を惜しまず働きに働いて、
広大な土地や邸をのこし、自分では一切使わず、
旦那にそっくりさしあげたいのです」。

ところが、金持の息子は金の苦労を知らないから、
放蕩無頼な金の使い方をする。

「あなたが一生懸命倹約しても、
息子さんがノム、カウ、ウツではね」と言われると、
一代目はその時だけはカンカンに怒って
「よし、じゃ儂もこれから毎日豆腐を一丁奮発するぞ」
と力みかえることになるのである。

といった具合に、
過ぎたるは及ばざるよりも滑稽なものである。

ところが、
倹約は昔から一貫して美風とされてきた。

思うにこれは不慮の災難に備える必要があったからであろうが、
経済的に見た場合には、皆が倹約しても、
それが貨幣の退蔵を意味するなら、
経済はかえって萎縮する性質のものである。

昔のいわゆる名君賢主たちが倹約を奨励しても、
生産が必ずしもこれに伴わなかったのはこの理由による。

しかし、銀行や郵便局が発達して、
皆が節約した金をこれらの金融機関に
預けるようになってからは事情が一変した。

まず貯めた金を銀行が企業家に貸しつけ、
それが新しい生産にまわされる。

のみならず、皆が一時に金を引き出すようなことはないから、
預っている金を準備金としてそれ以上の金を貸すことも可能である
何故ならば、貸した金がすぐに引き出されるとは限らず、
引き出しても支払いを受けた人がまた
銀行へ預けに来てくれるからである。

かくて銀行は貯蓄をオーバーして金を投資にまわすことが出来、
そうして銀行によって創造された金が流れ出ると、
物価が高くなって、国民は実質的に消費を抑制される。

これを経済学では強制貯蓄と呼んでいるが、
とりわけ国民所得の貧しい国で生産を拡大するためには、
直接税金で取り立てて国家の力で投資を行うか、
でなければ、この段階をふまなければならない。

けれども、そうした過程を経て次々と作られた品物は、
究極においては消費されねばならない。

もしふえた生産に消費が伴わなければ、物価は暴落し、
工場は損失を招き、経済全体が不景気になってしまう。

今日、政府は貯蓄をしなさいと盛んに奨励しているが、
それは皆が政府のいうことに耳を傾けないから
ちょうどよいのであって、
もし皆が皆一銭の金も二つにわって使うような
ケチンボになったら、たちまち不景気になり、
失業者が街に溢れてしまうであろう。

この意味で、金持のドラ息子も経済の発展に
一役買っているということが出来るのである。





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2012年7月29日(日)

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