港に山積みされた砂糖
大きな夢を抱いて東京から戻ってきたのに、期待が次々と裏切られたので、私はイライラして、東京へ戻りたいと考えるようになった。私の弟は、私同様、七年制高校の尋常科からあがって高等科にさしかかったところであったが、母親が福岡県久留米市の人だった関係で、福岡県が本籍になっていたので、引き揚げ者の一人として私と逆に東京へ引き揚げていた。混乱した台湾でこれ以上、教育を受けても仕方がない、どうせ大学へ行くのなら、まだ日本のほうがいいだろうという私の母の意向によるものであった。
物資不足で苦しんでいた日本内地では、台湾からの輸送が長く途絶えていたので、砂糖不足が深刻だった。一方、アメリカの潜水艦に次々と輸送船を撃沈されたために、台湾では砂糖が山積みにされ、岸壁や製糖会社の倉庫からあふれて、小学校の雨天体操場にまで山と積みあげられていた。インフレになっても、砂糖だけは何年分ものストックがあるので、砂糖一斤の値段が野菜一斤の値段より安いという奇現象が現に起っていた。
大陸から乗り込んできた一旗組がこの砂糖に目をつけて、安く叩いてドンドン上海に積み出していたが、日本から帰ってきた人たちもこの砂糖を何とか日本へ運ぶ方法はないものかと頭をひねっていた。
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