ちょうどその頃、陳儀長官の悪政に耐えかねた台湾の人たちの間で、自治を要求する声が高くなっていた。私が台湾へ帰った翌年の昭和二十二年二月二十八日に、それを象徴する暴動事件が勃発した。
事の起りは、日本人の遺していった酒、煙草の専売制度のある台湾で、上海から密輸されてきた煙草が公然と売られており、専売局の取締官がそれを取り締まりに出て、過って人を撃ち殺したことにある。ヤミ煙草を道端で売っている老婆の屋台を取締官がとりおさえて煙草を没収しようとしたところ、何事かと思って二階の窓から顔を出した男を取締官が拳銃を抜いて撃ち殺したのである。
たまたま殺された男が台北の有力なヤクザの一員だったため、怒った組員たちがお祭りのときに出動する獅子舞を先頭に、専売局に抗議のデモをかけた。そうしたらかねてから当局に不満を抱いていた民衆の鬱積していた怒りに火がつき、デモは長い長い行列になってたちまち行政長官のいる建物の前の広場を埋め尽くしてしまった。
このとき、陳儀がベランダに姿を現わして釈明の一つもすればよかったのかもしれないが、彼自身にもうしろめたいところがあったと見え、公署の奥に隠れたまま、ベランダから威嚇掃射をやらかした。怒り狂ったデモ隊はたちまち専売局を焼き打ちにし、放送局を占領し、逃げかくれする外省人をつかまえて殴る蹴るの制裁を加えた。
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