身辺に危険が迫り香港へ逃避行
選ばれた理由
荘要伝という男が、自分で危ない橋を渡らず、私に渡らせようとしたのは、彼自身の説明によると、次のような理由からであった。
台湾で二・二八事件が起った直後、義憤に胸をこがした荘は、廖文奎、文毅両博士にわたりをつけて上海に渡り、この兄弟に案内されて、駐華アメリカ大使スチュウェルに会いに出かけた。
終戦後、暫定措置として、国民政府軍の台湾進出を連合軍は認めたが、まだ講和条約も締結されておらず、台湾の将来をどうするかはまだ正式に決定していない。そういういわば占領下にある台湾で、台湾の人たちを暴徒扱いにして大虐殺を行ったのは、悪虐非道というよりほかなく、こんな人たちに台湾の政治を委任したことについては、アメリカ政府にも責任があると、荘は強談判をした。スチュウェル大使は荘の言葉に熱心に耳を傾け、本国政府にも報告をする旨、約束をしたそうである。
「ところが、何食わぬ顔をして台北へ戻ってきたら、うちの女房に上海に行ったことがばれてしまったのですよ。女房は僕が政治にかかわることを極度に嫌い、もう二度とやってくれるな、もしもう一度やったことがわかったら、必ず警察に密告するといって僕を脅迫しているんです」
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