しかし、李崇仁代総統の広州国民政府は一年と続かなかった。広州は共産軍の軍門に下り、李崇仁はアメリカに亡命したが、それと前後して蒋介石が再び権力の座につき、台中飛行場に降りたった。まだアメリカがどうするかきめかねていたときであり、台湾入りをした蒋介石が国民政府の台湾遷都を宣言して既成事実をつくってしまったので、以後、国民政府は台湾に根城をおくようになった。以来、三十有余年、国連から脱退したり、日本、続いてアメリカからも外交関係を断絶されながらも、厳家淦、蒋経国と総統が代替わりし、大陸の人民政府と対峙したまま今日に至っている。
しかし国民政府が台湾に遷都をしたことで、台湾を大陸の支配から切り離そうとする我々の運動は、すっかり実現から遠のいてしまった。
アメリカにとって国民政府は、何といっても永年の盟友であり、中共と対抗して共産主義の浸透を防ぐためには、国民政府に挺子入れをして、その延命をはかるのがアメリカにとって最も現実的な政策であった。といって、一か八かに賭けた以上、このまま引き下がることもならないし、自分たちのチャンスが永遠に去ったと考えるにはあまりにも深みに入りすぎていた。
アメリカはソ連と組んだ中共と対抗する必要上、国民政府に肩入れをするよりほかないが、国民政府が共産主義と敵対し、大陸反攻を叫ぶ限り、中共政府にも台湾攻略の□実が出てくる。
人民政府が軍事力で台湾を攻略しようとすれば、アメリカは台湾をとられないために何らかの対策をとらなければならなくなる。
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