東京から香港へ運んできた金目のものは、それがすべてであった。その中から千ドル分を抜き出すと、
「思っていたようには、いい値で売れなかったものだから、これだけしか分配はできないんだけど」
といって私の出資した分を倍にして返してくれた。五倍にも十倍にもなるという話からすれば、予想を下回る金額であったが、それでも財布の中身が既に底をついていた私にとっては、文字どおり「旱天の慈雨」であった。
私は蔡のおともをして金の延べ棒を売りに歩いた。またダイヤの処分をするために何軒もの貴金属店を歩きまわって、一番高く買ってくれそうなところを探した。このときはじめて、金には相場があって、純金の度数が問題なだけで売り値と買い値にほとんど差がないが、ダイヤのような宝石類は、天と地ほども差があって、クロウト仲間でも駆け引きの対象になっていることを知った。
また日本では、国民全体が食うや食わずの生活に追われていたが、ヤミの世界はまた別で、金地金もダイヤも、グリーン・バックもヤミからヤミヘと流れていて、自由自在に手に入ることをかいま見た。
この前のときと同じように、私は蔡について仕入れにとびまわった。前はサッカリンも積んで行ったが、近来の東京ではサッカリンの相場が総崩れだそうで、今度はもっぱらペニシリンとストレプトマイシンのほかに、新しくスイス製の女持ちの腕時計が加わった。
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