一年遅ければ八倍に売れた家
そのうちに、日本にも土地ブームが起った。香港の土地ブームはそれに輪をかけるくらい激しかった。九竜にある私の家は、位置的には最高のところにあったが、生憎なことに袋小路の中にあった。東京の土地は今でこそ大暴騰をして坪五千万円の地価も珍しくなくなったが、香港は十五年も前に坪当たりにすると四千万円くらいになっていた。
もし私が袋小路の中に家を買わず一本隣の通りか、それとも大通りに面したところに家を買っていたら、私の五十坪は二十億円になっていなくとも、十億円くらいにはなっていただろう。しかし、人の家のうしろになっていて、しかも十二軒を同時に建てるのでなければ役に立たない地所は、その十分の一でも誰も買ってくれる人がいなかった。
一九七二年になってから、やっと買いたいという人が現われ、私はその家を香港ドルの八十万ドルで処分した。日本のお金になおすとたったの四千万円であった。
家を売って一年ほどたってから、家内と二人で香港に行った。香港の土地はその後さらに暴騰を続けていた。どこからきいてきたのか、家内はホテルに戻ってくると、
「私たちの売った土地、いまいくらになったか知っている?」
「さあ、いくらになったのかな?」
と私は気のない返事をした。
「あなた、三億円ですよ。もう一年遅れて売ったら三億円に売れたんですよ」
それをきいても、私は口惜しいとは思わなかった。そんなことよりも、この次、土地を買うときは、表通りの一等地にすべきだな、とつくづく思った。
「でも三億円に売れなくても私はいいんです」
と家内はいった。
「もし三億円に売れたら、あなたは、商売の資金にしようと言って私にくれなかったでしょう。四千万円だったから私のものになったんですものね」
そう言われてみればたしかにそのとおりであった。もし三億円とまとまったお金なら、私はそのお金を使ってやる次の仕事を考えていたに違いない。
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