私はできたばかりの香港の総領事館まで出かけて行って、日本行きのビザの申請をした。パスポート一つ持たない私であったが、ビザ担当の領事さんが東大の出身で、私が事情を話し、東京のチューインガムの会社の取締役に名を連ねているという会社謄本を見せると、その場で日本に滞在のできるビザをくれた。
おかげで、六年間住みなれた亡命先の香港から家族連れでさよならをすることになった。
香港からベトナム号というフランス郵船に乗って横浜に着いてみると、友人の兄貴で文藝春秋に勤めている人が、わざわざサウスピアまで迎えに来てくれて、「残念ながら、あなたの作品は選からもれてしまいました」と知らされた。しかし、私は少しも挫けなかった。生命からがら逃げまわることに比べたら、お金を損することや賞に入らないくらいのことは何でもなかった。もう一度やりなおせばよいし、それでも駄目なら、何度でもやりなおしのきくことだと思ったからである。
その年の下半期には私の書いた「濁水渓」という作品が直木賞の候補にのぼり、このときは落選したが、次の年の下半期に「香港」という作品で運よく直木賞を受賞した。六年間、香港に住んで見たりきいたり体験したことが作品となり、誰一人日本人が出て来ない小説を書いて受賞をしたのだから、人間の体験はどこでどう役に立つのか、全く見当もつかない。
小説家になって再出発をした私は、もともと政治の世界でももまれてきたし、商売の世界でももまれてきたので、小説を書いていても同業者に比べると、国際政治の動きには敏感だし、企業の変化にも微妙に反応した。だから日本の経済が発展するキザシを見せてくると執筆の対象を、色気からお金のことに変え、気がついてみたら「お金儲けの神様」になっていたという次第である。
←前ページへ 次ページへ→

目次へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ