吉村昌光さんとしょっちゅう一緒になっていたし、科学と経済を両輪にしたコンサルタントをやれば、それこそ鬼に金棒だと思ったので、一緒にやらないかと誘ったら、すぐ承知をしてくれた。そこで、吉村さんの名前の頭文字のYと私の名前のQという字をとって、Y&Qコンサルタンツという会社をつくり、事務所の中にも、吉村さんの部屋を設けて、いつでも出勤して仕事のできるようにしてあげた。
しかし、吉村さんは机に向かって仕事をしたりすることに全く馴染まない人であった。一回くらいは顔を出してくれたが、遂に折角つくったコンサルタント会社の仕事をやってくれなかった。
仕方がないから、私が一人でコンサルタント会社をやることになった。今までつきあいのある会社の社長に話しかけて会員になってくれないかと誘ったら、三十社ほどが応じてくれた。証券会社には月に十万円、事業会社には月に五万円、コンサルタント料を払ってもらうようにしたので、月に百五十万円くらいの収入のあるコンサルタント・オフィスになった。
今でこそコンサルタントといえば何をやる職業か理解されるようになったが、当時はコンサルタントの数も少なかったし、鞄をさげて顧問先の会社などに出かけて行って、一体一何をやる人なのかと首をかしげられる商売であった。会社名義になっているとはいえ、そういう得体の知れない肩書で、月に百五十万円もらえるコンサルタントは、恐らく同業者の中でもトップに属していたに違いない。
コンサルタントといっても、実際にやる作業は、相談事があれば相手に来てもらい、なければ月に一ぺんくらい一緒に夕飯を食べるくらいのことであったから、「これで少しは楽ができるぞ」と私はひそかに喜んだ。
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