なぜ他人の洗濯を
この商売は、月給が平均して十万円くらいだった時代に、一家で力をあわせてやれば月に三十万円か、四十万円くらいの利益をもたらす規模の事業であった。だから百軒も店を持てば、ちょっとした金持ちになれると私はひそかに思い、店を八軒まで拡げた。しかし、この商売は家族労働に向いているが、企業として経営するにはいくつかの欠点があった。
まず私に本職があるので自分でやるわけにもいかず、家内に店のとりしきりを頼むよりほかなかった。八軒の店をまわろうとすると、交通の混雑する中で、一日に八軒の半分もまわりきれない。また洗濯職人を店長にして女の子を手伝いにつけておくと、アイロンは使えても部下は使いこなせない職人が出てくる。従業員が落ち着いて仕事をしてくれないし、募集広告の代金だけでもバカにならない。
しかも、シーズンになると、洗濯物がたまってニッチもサッチもいかなくなるから、店長から家内に電話がかかって「奥様、手伝っていただけませんか」と哀願される。まさかいやとも言えないので、今日はこの店、明日はあの店と手伝いに行くが、クタクタになって帰ってくると、私に、
「うちでは自分の家の洗濯のために人をやとっているのに、どうして私は他人の洗濯をしなければならないのですか?」
と文句を言った。
またクリーニング屋は現金商売だから、金ぐりは比較的楽であったが、その代わり店長が売り上げをごまかすのも容易であった。ある店長のごときは、五時になると、女の子を全部帰してしまい、仕事は全部自分が引き受ける代わりに、売り上げも全部自分のポケットに入れてしまった。
結局、この仕事は脱サラには向いていても、僕たちの仕事ではないという結論に達したので、私は八軒の店を一つずつ、やりたいという脱サラ組の人たちに譲っていった。さんざん忙しい思いをしてはじめたクリーニング屋であったが、全部やめていまも家に残っているのは、香月泰男の絵一枚だけである。店を売り払って整理したお金で買ったのである。
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