あるとき、知り合いの政治家が友人を連れて私のオフィスに現われた。
「この友人は鬼怒川べりに砂利の採掘権を持っていて、自分はこれまで三百万ほど出して仕事を手伝ってきたが、もうこれ以上は資金が続かない。誰か代わりに面倒をみてくれる人はいませんか」
たまたま私がコンサルタントをしている会社の中に、「関西工機」といって、いまはもう倒産をして姿を消してしまったが、二部市場に上場をして株価が千円以上もしていた砂利プラントメーカーがあった。その会社では砂利はお金の儲かる商売だが、採掘を規制されているのが玉に瑕で、鉱区さえあれば、設備費くらい一年で取り返してしまえると常々言っていた。
そういうことをききかじっていたので、私はすぐ関西工機に電話をかけ、あなたの会社が設備を提供して一緒に仕事をしてあげてくださいと言った。社長の息子の専務がすぐに現場にかけつけてくれて、
「これなら相当、埋蔵量もあるし、一緒に仕事をやってもよいが、向こうとは一面識もないから、センセイが一枚かんでくれるなら」
と条件をつけた。昭和三十年代も半ばをすぎると、いよいよ本格的な高度成長期に入ってきたし、都市の高層化と道路の舗装が急激にふえはじめていたので、私はこれから大都市を中心に砂利不足に悩むだろうと見ていた。新聞などにも、多摩川や相模川で砂利を取りすぎるために橋桁がブラブラになっている写真が載ったりして、このまま乱掘がすすめば、東京の周辺は砂利を取り尽くして、採掘地域は遠くに拡がり、お江戸日本橋を起点として半径百五十キロ以内なら採算圏内に入ってくる可能性があった。
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