事の起りは、やる気を失って軽井沢の別荘で歌謡曲の作詞に明け暮れていたときのことである。ある日、人の紹介で特殊な酵素を開発したという人が、その企業化について軽井沢の私のところまで訪ねてきた。その人は獣医の出身で、牛の内臓をいじっているうちにそこから摘出したのかどうかしらないが(理論的には牛の腸内の酵母菌は空気中では生存できないそうであるが)、動物の生命力とかかわりのある酵素を培養することに成功して、それをカマボコや味噌漬けの魚や生肉の保存用に使用すると、腐敗が一週間くらい遅れ、防腐剤として効果があることを発見した。その液体を海産物加工屋に売り込んでいるが、効果が安定しないこともあって、そのためにクレームをつけられているということであった。
その日、私は東京に出ていて不在だったが、発明した本人は自信満々で、自分の発見した酵素は皮膚のヤケドにも、シミにも、また水虫にも何にでも効くと言って自慢をした。そばできいていたまだ小学生だった次男が、
「へーえ。そんなに効くんだったら、ハゲにも効く?」
ときき返した。そうしたら、その小父さんが、
「ハゲにもよくききますよ。頭につけると毛が生えてきます」
と真剣になって答えた。
「じゃ、そのお薬をちょうだい。うちのパパ、ハゲのこと、とても気にしているんだから」
と親孝行な息子は父親のために毛の生える薬を持ってきてくれるように頼んだ。本人はすぐに承知をして、東京のホテルにクスリを持ってきて待っているから、お父さんが帰ってきたらすぐに連絡をしてくれるように、と電話番号まで残して帰っていった。
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