雑誌の経営は私にとってはじめての経験であった。私は収支のアンバランスを縮めるために、徹底的な緊縮予算を布き、まずセントラル・アパートの編集室を引き払って私のオフィスの三階に移し、編集費も月四十万円ときめ、一円とび出しても一切とりあわなかった。また新聞の広告を見て雑誌を買う人が四割しかいないことを知ったので、新聞には一切広告を載せず、もっぱら書店の店頭で勝負をすることに賭けた。そのためには他のジャーナリズムで話題になることを狙い、のちに有名になった篠山紀信とか、立木義浩といったカメラマンに有名モデルさんや当時売り出したばかりのピーターのヌードを撮ってもらってグラビアに載せた。その新奇さが週刊誌などで報道されるたびに、『話の特集』は少しずつ部数をふやしていった。
私はまた書店以外の販売ルートはないものかと頭をしぼり、知り合いの喫茶店やレストランのキャッシャーのそばにおかせてもらった。タダかと思って黙って持って行く人が多いといって嫌がるお店もあったが、お茶の水駅前の「レモン」のように、月に百五十冊も売ってくれる学生街の喫茶店もあった。また私は矢崎君を連れて、西武百貨店に堤清二氏を訪ね、月五万円の広告をしてくれるように頼み込んだりしたこともあった。
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