故郷からの誘い
「不動産投資なんて商売じゃないよ。お金は儲かるかもしれないが、こんな面白くないことは長くやるものじゃない」
と私は妻に言ったことがある。妻は驚いたようだが、別に何も言わなかった。ちょうどその頃、国際政治舞台で大きな変化が起り、国連に中国が加盟することにきまった。「二つの中国」はあり得ないという中国と台湾の双方の一致した主張によって、国民政府は席を蹴って国連から脱退をした。昭和四十六年の秋口のことである。
日本から見れば、何でもない出来事だが、この事件は台湾政府に大きな衝撃をあたえた。
私にとっても将来の生き方を左右する大事件であった。
台湾の将来は風前の灯になり、人も資本も台湾から逃げ出そうとして台湾のヤミドルが大暴騰をした。かつて私を政治犯扱いにしていた人々が、今度は私と同じ立場になってきたし、一方、「台湾は独立して別の国家になったほうがよい」という私の主張は、これで全く実現性のないものになったと判定するよりほかなくなった。というのも、今後、台湾が分離する方向に動こうとすれば、国連に議席をもつ中華人民共和国は武力を発動してもそれを阻止できるようになったからである。
年の暮れになると、国民党本部から私のところに、国へ帰らないかと内々の打診があった。年が明けると、大臣クラスの地位の高い人が東京の私の家まで訪ねてきた。続いて、かつて私を捕らえる立場にいた台湾のFBIのボスが、副局長を派遣してきて、私に正式に国へ帰ってほしいと交渉があった。
逃げ遅れたら銃殺にあう立場にいた私に、台湾へ戻ってきてほしいという申し入れである。もはや一生、故郷の土を踏むことはないだろうと思っていた私としては、今までの生き方を一変させるような重大な転機といってよかった。恐らくこれから先、私と国民政府は立場が著しく接近したので、今までのように正面衝突になるようなことは避けられるだろう。
あれこれ考えた末に私は台湾へ帰る決心をした。生命からがら故郷を逃げ出してから、ちょうど二十四年ぶりのことであった。
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