「蒋経国と親しい」男
私が台湾へ帰ったばかりの頃は、まだ羅東でも桃園でも養殖が盛んで、鰻が台湾から対日輸出の有力商品になりつつあることは私も知っていたが、その詳しい内容は知らなかった。
いつも私が飛行場に着くたびに台湾の調査局の人たちが私を迎えに来ていたが、その中に紛れ込んで頼文彬という男が来ていた。四十七年の年の暮れに私が女房を連れて正月休みを台湾で送るべく台北に着くと、その男が私たちを迎えて、実は自分がやっている養鰻事業に投資をしてくれないかと頼みにきた。
この男は四十七年の春に東京へ鰻のシラスを買いにきたことがあった。当時はシラスが一キロ七万円から十万円くらいだったが、日本国内に品物が少なく、それにシーズンを少しすぎていたせいもあって、目的を果たすことができなかった。しかし、そのとき、友人を通じて面識ができた。以来私が帰るたびに飛行場に迎えに来て、私と親しく口をきくようになっていた。
頼はその友人の口を通して、
「自分は蒋経国が国防部長だったときに護衛の一人だったので、蒋院長の信任が厚く、蒋院長の令息をあずかって養鰻会社の総経理にしている」
と私に伝え、私にそういうイメージを植えつけようとした。念のため本人に真相をたしかめると、あまり口外はできないけれど、そのとおりだという。
そういった経過があったので、自分の養鰻場を見てくれないかと誘われたとき、私は日本へ帰る日であったが、忙しいスケジュールをさいて桃園の現場まで出かけて行った。私にも油断があったが、まさかペテン師にまんまとひっかかって一億円持ち逃げされるとは神ならぬ身の知る由もなかった。
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