商売を続けるためには南部の産地に白焼の工場を建てるよりほかなかったが、私のパートナーになってくれた若い日本人が度重なるカルチャー・ショックに草臥れて、次第にやる気を失ったので、とうとう店じまいをしてしまった。
養鰻に際しての失敗は私の不注意から起ったことである。もう一方の牧場経営の失敗は、台湾政府の経済政策のデタラメさの被害にあったようなものであった。
発展途上国へ行くと、しばしばこうした無策無方針の犠牲にされることがある。アフリカや南米でのエビ採りなどにこうした例が多く、事前にちゃんと協定や契約を結んでいても、自分たちに都合が悪くなれば、すぐ反故にされてしまう。日本の水産会社でこのために何十億円という被害を蒙った実例は枚挙にいとまがない。
こうした被害は一次産品だけでなく、イランにおける三井物産の石油事業に代表されるように、工業、流通業などの全分野に及んでいる。台湾のような民度の比較的高い土地においてさえこうしたカルチャー・ショックは避けられないのだから、これからの日本人は、好むと好まざるとにかかわらず、このハードルを乗りこえて行かなければならず、まだまだ大きな試練が待っているといってよいだろう。
←前ページへ 次ページへ→

目次へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ