証券金融への認識不足
昭和四十七年に私が台湾へ迎えられたとき、台湾政府は私が兜町で「株の神様」をつとめた実績を知っていたので、飛行場まで迎えに来てくれた人々の中には、証券管理委員会の主任委員もまじっていた。日本でいえば、大蔵省の証券局長のような地位であるが、台湾では経済部(通産省)に属し、独立した監督機関になっていた。
主任委員胡祥麟氏の肝煎りで取引所と各証券会社のトップが集まって、一夕私のための歓迎会をひらいてくれた。
「ぜひ台湾の証券界でも仕事をしてください。もし会社をつくるおつもりなら、こちらとしても特別に許可をおろす用意がございます」
と、直接、本人の口からもきかされた。
証券業者のライセンスはきびしく制限されていて、そう簡単に許可されるものではないが、なにしろ台湾が国連を脱退した直後であり、株価も大暴落をして、誰も取引所に寄りつかないときに突然、救世主のごとく帰ってきてくれたのだから、そのくらいの特別待遇はしてもよいと思ったのであろう。
しかし、私は台北に住む気はないし、台北で証券会社をひらいて今夜、歓迎会に出席してくれた人々のライバルになる気もない。だから、もしやるとしたら、まだ台湾にない証券金融会社でもつくって、皆さんにも出資していただいて、台湾の証券界の健全化のために力を貸したいと挨拶をした。
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