化繊株を買ったが
私が証券会社をつくることが知れると、ドッと資本参加の申し込みがあった。私は三千万元くらい自分で持つつもりでいたが、海外からの送金を認めなかったので、現地で資金の調達をしなければならなかった。
私の董事長(会長)ははじめからきまっていたが、総経理、副総経理になりたい人がそれぞれ自分に投票してくれる株主を集めてきた。その中には軍人の退職金とか、私ならうんと儲けてうんと配当してくれるに違いないと見込んだ思惑資金もまじっていて、のちのちまで禍根を残すことになるのだが、ともかく証券投資会社がスタートするようになったので、私は日本でかねてから株式調査に才能を持っていると見込んでいた菅原という証券会社の人を調査部経理として招聘した。
十年前の台湾には、四季報のようなものは全くなかったし、上場企業に対する調査機関すら一つもなかった。そこで私は菅原さんに、各企業から情報を集め、「四季報」をつくるように命じた。本の名も『股市四季報』と名づけるつもりだったが、「報」とは中国語で「新聞」のことであり、「新聞」は許可制になっているから紛らわしい名前は一切許可しないという。
仕方がないので『股市瞭然』(股市とは株式市場のこと。したがって株式市場が一目瞭然でわかるという意味)と名づけ、最初は百ぺージ足らずの小冊子からはじめた。
この小冊子のために調査をした菅原調査部経理は、私に台湾の化繊株を買うことをすすめた。石油ショックの直後だったが、大明、裕和、新光、中国人繊など、どこの化繊会社も空前の活況を呈していた。大明のごときは十円の額面に対して年に八円の配当をしていた。
菅原さんの説明によると、台湾の化繊業は日本に比べると、後発なだけにコンパクトにできていて、設備も最新鋭である。そのうえ、人件費が安いからコストが二割くらい日本より安くなり、景気が恢復しはじめたら、斜陽化しつつある日本のそれより早く儲かるようになるだろうと言う。
なるほどと納得して、大明、裕和の株を百万株ずつ、また綿紡の中興紡も百万株ほど買った。すると、その後間もなく、景気が傾きはじめ、一年もしないうちに、三億円分値下がりしてしまった。「ビルは大きくて立派そうに見えるけれど、あの人、もうすぐ倒産するよ」と外部でもっぱらの噂が立っていることが私の耳にも入ってきた。
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