石油ショックのあと、何年かたって台湾でも景気がやっと恢復してきたので、買い占め屋が盛んに活躍しはじめた。その中で元気がよくて割合に人柄のよい青年が私の証券会社を譲ってもらえないかと申し込んできた。ちょっと証券会社の経営にはあきあきしていたし、自分には不要でも必要な人にそれを譲れば、足を抜くにはよいチャンスではないかと思ったので、大株主たちにも相談をして、過半数をその人に売却した。売却価格は額面十元に対して十二元五十銭であった。
損こそしなかったが、八年間、頭がおかしくなるほどふりまわされ、不動産の値段はその間に十倍にも上昇したというのに、このざまでは到底勝利者ということはできない。
ただせめてもの慰めは、私が証券投資公司を売り払った頃を境に、台湾の株式市場は下降期に入り、私から会杜を譲り受けた青年は、間もなく会社も株もおっぽり出してロサンゼルスに夜逃げをしてしまった。その中にあってひとり私だけが、株式市場の荒波に呑み込まれないですんだのだから、言わば他人に身代わりになってもらったようなものである。ホンのタッチの差で、私はカントリー・リスクの谷間を走り抜けたのである。
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