工場を次々閉鎖して
「松下さんのように金属加工の多い工場では、百人で作業していたところが一人ですむようになったところもあるんですよ。それに比べると、私のところは柔らかい物を接着したりするので、十人を一人にするくらいの自動化しかできませんが、それでも、五十人残った工場をさらに十五人くらいまで減らそうと思って努力しているところです」
と能村さんは私に説明をしてくれた。
こうなると、いくら日本の人件費が高くなったといっても十人が一人で間に合うようになれば、人件費の高さはもはや障害でなくなってしまう。現に太陽工業では台湾でつくるよりも、もとの浜松工場へ仕事を持って帰ってきたほうがかえってコストが安くなるようになっているから、台湾に工場を持っている意味がなくなってしまったのである。
「ですから台湾の工場は閉鎖することにしましょう」と言われれば、現にフル操業で工場を動かしていて、ちゃんと配当もしている企業をしめないわけにはいかなくなってしまう。経営者としてつらいことであるが、もはや将来に希望がないとなれば、やむを得ないことであろう。
時代は猫の目のように激しく素早く移り動く。コスト・インフレの嵐の吹きすさんだ昭和四十年代には、海外に工場をつくったり、海外に技術指導をして現地生産をはじめたら、いわゆるブーメラン現象が起るのではないかと多くの企業家たちが怖れた。現に鉄鋼や化繊の分野では、いまそういう現象に悩まされている。
しかし、日本国内で省エネと自動化に成功すると、自動車や電気製品のパーツ・メーカーや、機械、精密工業の分野では、現地につくった工場を閉鎖して日本に戻り、日本でオートメでつくって、高い関税障壁を乗りこえて再輸入したほうがまだ採算に乗るという逆ブーメラン現象が早くも起ってきた。
したがって日本の企業で、韓国、台湾、香港、シンガポールに工場をつくったところが、逆に工場を閉鎖して引揚げてくる傾向が目立つようになった。中でも現地にマーケットを持たず、コスト・ダウンだけを目的として第三国への輸出をめざして設立された工場はすべて閉鎖される運命になってしまった。
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