生命を賭けるのに比べれば
私の個人の金儲けの歴史は大体以上、ご覧いただいたとおりである。皆さんにとって意外だったのではないかと思うことは、それほどソロバンづくでもないことであろう。政治意識とか、全体の経済の流れとかに気をとられすぎるとお感じになった方もあるかもしれないが、それは私の生まれとか、育った環境によるものであろう。
私のように生を台湾に享けて、日本統治時代には植民地の人間として差別され、国民政府の時代になると、日本帝国主義的教育の害毒を受けた者としてさらにひどく扱われるようになると、どうしてもアラビアのロレンスのような生活に男らしさを感ずるようになってしまう。それが環境のいたずらで「お金儲けの神様」になってしまったために、多少は気のひけるところもあるし、逆に臆面もなく頑なに自分の生き方を通すということにもなる。お金の顔を見たのに、そのまま素通りもできないという立場になることもあるのである。
もちろん、今の私は日本人の一員として世界の動きを見ている。国籍もそうなっているし、世界中のどこの国の人に一番近いかときかれたら、やっぱり日本人というよりほかない。
しかし、世界が一つになって行くずっと前に、台湾人を父に、日本人を母に生まれ、また中国家庭の教育と日本の学校の教育を、子供のときから同時にずっと受けて育ったので、一足先に国籍なんか問題にしなくなっているし、エスニック人間として、度量の狭い国粋主義や民族主義には同調できない立場に立っている。
そういう人間として、あちこち壁に頭をぶっつけてきたが、その中には生命を賭ける場面もあったし、巨額のお金や名誉がかかる場面もあった。お金は生活をしていく上で大切なものだから、お金を投じて大きな報酬にあずかれば嬉しいし、損をすれば青くなる。それは私にとっても例外ではないが、ただ私の場合は生命を賭けるゲームをやったときに比べれば、お金を損するくらい何でもないじゃないかという気持ちがある。多分、それだからであろう。性懲りもなく失敗を重ね、その度に、少なからず損をくりかえしている。しかし、損をすれば、何事もよく覚える。授業料を払わなければ、利口にはならないものなのである。
もちろん、同じ物事を覚えるにしても、損はなるべく少なくして素早く覚えるのが経済原則にかなっている。そう思ったので恥をかえりみず自分の失敗談を読者の皆さんに披瀝してきた。大した宝の山でもないが、もって他山の石としていただければ幸いだと思っている。
(終わり)
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