前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第38回
逃れる人生

ポルポト時代のカンボジアでは、
まず中学以上の学歴のある人間は「人民の敵」と呼ばれて
殺されました。
町に住んでいた人間も皆「劣等人類」として
ほんの少しの食べ物しか与えられず、
殺される対象になりました。
チュンは末っ子で
まだ小さい子供だったので殺されるのを逃れました。
母親と姉の一人もなんとか難を逃れました。
開放されるとすぐにタイの難民に収容されました。

難民キャンプのビデオを見ましたが、
狭い土地に小さな家畜の小屋のような建物が
びっしりと並んでいました。
チュンは姉さんに勧められたこともあって
四人で難民キャンプを脱出しました。
その四人全員がTさんのところで朝の掃除の仕事に就きました。
脱出といっても
辺りには地雷がどこに埋められているか解らないので
道案内人がいります。
彼らのガイドは慣れたものでホイホイと先導して歩いて行きます。
地雷は踏んだ時は感触で解るそうで、
踏みつけて体重の乗った足を
地雷から離す瞬間に爆発するのだそうです。
だから踏んだと思ったら回りの者に教えて避難させるのです。
後日談ですが、チュン達を案内したそのガイドは
地雷をなめ過ぎて逃避行の案内中に爆死したそうです。

デンマークには受け入れの年齢制限があったので
それに合わせて書類には年齢を三つ程若く書きました。
学校に入ると周りがチュンより三歳年下なので
皆子供に見えたそうです。
もっとも彼は背も低くて超童顔なので実際は年上でも、
外から見ると彼が一番若く見えたかもしれません。
彼は後にデンマーク国籍が取れて喜んでいました。
これで特別ビザなしで出入国ができます。
色々な権利も発生します。
ただし、後で気が付いて嘆いたことがありました。
年齢を若く書いてあるので
年金が入るのが本当の年より三年遅くなるのです。
そのほか思いもよらなかった事に、
デンマークには義務として兵役があったのです。
ある日「出頭せよ」の紙を貰いました。
兵役は自分に関係ある事とは思ってもいなかったので、
この時もパニックに陥りました。
それでも結局は何故か徴兵は逃れることができました。
入隊の筆記試験の時に
「算数で出鱈目の答案を書いたから」と
チュンは嬉しそうに言っていました。


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2004年9月8日(水)

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