前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第151回
“最終回”・・・かと、思いましたが

「肉体が滅びて人は1度死に、
その人を知る人がいなくなった時に2度目の死がある」
と、ややこしい言い方の好きな哲学者は言いました。
「物書きは人目に触れなくなると1度死に、
死亡告知が出て、“ああ死んだのか”と、2回死ぬ」
と言ったコラムニストもいました。
その伝でいくと
「文章を遺した人は、そのメッセージが常識になった時か、
または時代に合わなくなった時に3度目の死がある」
とも言えば、言えますか。
それでも変わらぬ原則の方は、
世の中が存在する限り生きていくでしょう。

“初めに原則ありき”
原則はその言葉が存在する以前から存在します。
天才は、私達の目の前に存在しながら、
私達が見ていない物を、手にとって見せてくれて、
説明してくれます。
そして常人には繋がらない事柄を、
一つに繋げて新しい世界を産み出します。
それを語った人が亡くなっても、言葉に集約された原則は残ります。
その原則を語り、その応用問題を解き、
それを実践する人のホーム・ページの片隅を借りて、
幸せにコラムを書いてきました。

「国が亡びても、会社が潰れても、そんなことは何でもないのです」
「個人が1回限りの生を楽しんで、
死ぬまで力一杯生きる方が大事ではないですか」
私のように臆病なところのある人間には、
丸谷才一さんがQさんの食べ物の本で解説してくれた、
このメッセージはよく効きます。
この文を初めて読んだ時は、瞬間、体の芯を熱いものが貫きました。
Qさんのメッセージを受けて、
私達も死ぬまで迷いながらも、元気に生きていきたいと思います。
特に若い時には “大したこと”がたくさん有る気がして、
つらい事もありますが、
実はどれもこれも“大したこと”ではないのです。
以上のことも、元々平気な人には釈迦に説法なのでしょうが。

実は、このコラムも予定の回数になり、
「お終い」だと思っていましたが、
そうではなくてこのまま続けることになりました。
それでも、最終回をせっかく書いたので、
少し書き直して第151回としました。
また来週から連載を続けます。

このコラムに感想や質問をいただけたら、
感謝して、これからのテーマを選ぶ時のヒントにしたいと思います。
私の文を読んでくださる方にとって、
なにが意外でなにが当たり前か、
などを知ることが出来たら助かります。


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2005年2月11日(金)

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