死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第35回
作家が上手な理由

私自身、文筆業に従事してきたが、
鍬を持たずに筆を持つ人間はいわゆる口舌の徒で、
世の生産に大して貢献していないというひけ目を感じている。
韓非子を読んでも、韓非は戦国時代の諸子百家たちに
そうした批判の目を向けている。

ところが、新聞からラジオ、テレビと
コミュニケーションの手段が発達するにつれて、
口舌の徒の収入はいよいよふえ、毎年の高額所得者名簿を見ても、
筆一本で三億円も五億円も稼ぐ人が出てくるようになった。
もとより五億円稼いでも、
最高93%の累進課税率で税金をとられるから、
必要経費の20%を除いた収入の大半は
国庫に持って行かれてしまう。

だからそういう人の収入でも
実収入は皆が羨しがるほどのものではないが、
それでも口舌の徒がこれだけの収入を得ていいものか、
と首をかしげたものである。

しかし、結婚式の席上で小説家のスピーチが
こんなにもウケるのをきいているうちに、
実はこの人たちは人々の精神面に
かなり大きな影響力を持っているのだな、
と改めて悟るところがあった。
本が売れたり、映画になったり、更にテレビ化されて、
また原作料をもらうから、巨額の収入になってしまうのだが、
それを買う人は、そこに値打ちを見出しているからこそ
買うのであろう。

そういう目で見ると、
政治家というのも非生産的な点では、作家とほぼ同類であるが、
はたして人々の精神のどの部分を支配しているのであろうか。
ひょっとしたら、経済界に対する
最も巨大な寄生虫の一大集団ではないだろうか、
という気がしないでもないのである。

結婚式の最後のしめくくりは、両家を代表して
花婿の父親がお礼の挨拶をするのがしきたりである。
娘の結婚式の時は、当然、
うちの婿殿のオヤジさんが挨拶する手筈であったが、
三田家ではオヤジさんの健康もすぐれないし、
話も上手でないから、
「席次に不行届きの点が多々あると思いますが、
どうかお許し下さい」とお詑びの一言だけは言うが、
「あとは代わりにやって下さい」と下駄をあずけられてしまった。
やむを得ず、私は花嫁の父として異例の挨拶をする破目になった。





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2012年12月28日(金)

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