死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第42回
圧巻だった中村スピーチ

さて、スピーチは面白くはあったが、
予定より延びて残り時間も少なくなっていた。
乾杯のあと、私に無断で、
司会者がいきなり学友たちのスピーチに移った時は、
さすがの私も思わずドキリとした。
しかし、これが賢明な措置であったことはすぐに明白になった。
料理を運び騒々しい皿の音に続いて、
腹をすかせたお客さんたちは
ナイフやフォークを動かすのに忙しくて、
面白くもおかしくもないクラスメイトのスピーチに
耳を傾ける余裕など全くなかったからである。

いつまでたっても自分の番がまわって来ず、
もう残り時間も少なくなって、
中村先生にも漸く焦りの色が濃くなっていた。
殆んど全くあきらめかかった、
ちょうどその時にあわせたかのように、

「では中村武志先生、お願い致します」

という声がかかった。
中村先生は少しくあわてて立ち上がり、

「目白三平の中村武志です」

と挨拶をはじめた途端に、

「もとへ。もう一度はじめからやりなおします」

と言ったのは、
録音するつもりでもってきたテープレコーダーのスイッチを
押し忘れたことに気づいたからであった。

失笑の中からはじまった
中村先生のテーブル・スピーチであったが、
私がきいた数々の披露宴のスピーチで
これほどの圧巻にはいまだかつて出あったことがない
と言っても過言ではない。

「私はさきほど挨拶をされた阿川先生の百分の一も売れない、
非流行作家だけれども、また邱永漢さんのように、
一回の講演料が百万円といった名講演家でもないけれど、
講演をすれば、何がしかのお金をもらいます。
ですから、これからのスピーチがタダということはありません。
お祝いは持って来なかったけれど(本当に、持って来なかった)
その三万円をさしひいた十七万円を、邱永漢さんよ、
明日にでも、中村武志の銀行の口座にふり込んで下さい。

さきほど挨拶をされた中央公論社社長の嶋中鵬二さんよ、
どうして邱永漢さんに“子供の育て方“という本を
注文すると言って、
中村武志に“長い長い結婚式のスピーチ“という本を
注文されないのですか。
明日にも早速、編集者をさしむけて下さい。
そうしたら、必ずべストセラーになって、
傾きかけた中央公論社が立ちなおります」

ドッと会場全体が湧いて、
嶋中さんの隣席に坐った盛田さんなどは
天井向いて大きな口をあけて笑っていた。

もし本当に中央公論社の業績が悪化の一途を辿っていた時なら、
この冗談も嶋中さんの胸にグサリと刺さったことであろう。
幸いにも、中央公論社は既に最悪期を脱して、
新しい雑誌をいくつも計画する段階まで恢復していたから、
軽くきき流すことができた。





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2012年1月18日(金)

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