死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第55
四十歳で再出発せよ

現行の定年制度が
私たちの人生の波長と合わなくなったことについて、
私が言及したのはもう十七、八年も前のことである。

私がそのことにふれたのは、
老人医学が発達して!平均寿命がグングン延び出してきたのに、
定年が人生五十年と言われた時のまま据え置かれていることと、
もう一つ、年功序列給でこのまま押せ押せでやっていると、
そのうちに退職金の払えない企業が続出すると思ったからである。

当時は、男の平均寿命が
やっと七十歳になるかならないかの頃であったが、
七十歳というのは、若くて死ぬ人も入れた平均数値であるから、
七十歳まで生き延びた人は、
実際にはもう少し長生きするが、
仮に七十歳で死ぬとしても、五十五歳で定年になる人は、
そこで職場から追い立てられるから、
別の職場に動くか、独立するか、それとも隠居をして死を待つか、
のいずれかを強制されることを意味する。

五十五歳は、独立してはじめから仕事をやりなおすには、
あまりに年をとりすぎているし、
かと言って死ぬにはあまりにも早すぎるのである。

一方、一つの会社につとめると、
定年までつとめあげる習慣の強い日本では、
このまま年功序列給を続けていると、
ある時期に達したら、
退職金の支払いだけで莫大な金額にのぼる時期が来る。

たとえば、終戦時に引き揚げてきて
会社の再建に従事した人々が
定年になる時期はさして目立たないが、
昭和三十年以後、日本が高度成長期に入ると、
大企業で毎年五百人、千人と入社させたところは少なくはない。

十五年前くらいだと、
退職金は七百万円くらいであったが、
五年たつと、一千万円台になった。
更に五年たつと、千五百万円台に上昇した。
現在では、二千万円をこえるのが珍しくなくなっている。

ということは、
年間に二百億円も退職金を支払わなければならない企業が
続出するということであり、
それはあまりパッとしない大企業の年間利益を
オーバーする金額になるから、
企業の業績いかんでは、
退職金が払えなくなるところも出てくる。

現に、退職金を一時払いするよりも、
一部、年金支給に切りかえている企業がふえてきている。

こうした矛盾を考慮に入れて、
両方ともうまく調整のできる定年ということになれば、
四十歳が一番よいのではないか、と私は提案した。

学校を出てから四十歳までは、
西も東もわからない世間知らずが、
だんだん体験を積んで一人前になっていく過程である。

一年毎に、使いものになっていく年齢の時は、
年毎に昇給させても少しもおかしくない。

しかし、四十歳を過ぎると、
体力も次第に衰えるし、
経営能力についても、格差が目立ってくる。

また本人としても、今までやってきた仕事が
自分に向いた仕事であるかどうか、自覚できる年齢だし、
自分の能力の限界についてそろそろ見きわめのつく年齢でもある。

だから、このへんで一ぺんしめくくりをして、
あとは、契約制に切りかえて会社に居続けるか、
転職するか、独立して第二の人生を歩むか、
するのがよいのではないか。

四十歳なら人生の体験を積んで、
ちょうど働き盛りでもあるから、
再出発をしても、充分やりあげるだけの時間的余裕がある、
と私は思ったのである。





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2012年1月31日(木)

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