死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第66
日本に帰化して

私が台湾へ帰るようにな ってから
この十一年間、最後の三年を除いて、
私は台湾の大新聞にコラムを持ち、
経済政策をどうすべきかについて書き続けた。

その記録がすべて残っているから、
私の考え方がどの程度、台湾の政策に影響し、
またどの程度、影響しなかったか、
後世の人たちは跡づけることができるはずである。

私の影響力の如何にかかわらず、
約八年間、台湾経済は石油ショックの下で高度成長を続け、
アジアにおいては、日本、
シンガポールに次ぐ所得水準の高い国にのし上がった。

しかし、三年前から様子が変わってきた。
先ずこの十年の間に、日本やアメリカは人民中国を承認し、
世界の大半の国々が台湾との外交関係を断った。
貿易だけは続けられているが
台湾の孤立感はいっそう深いものになっている。

とりわけアメリカの中国承認は、
台湾の運命を決定的なものにした。

いまのところ、大陸は台湾に平和的解決を呼びかけ、
政権も軍隊もそのままにして、
特別区として存続させるからと
耳に入りやすい条件を出しているが、
アメリカが人民共和国を承認した以上、
「中国というワク」からとび出した形の台湾処理は
事実上、不可能になってしまった。

アメリカに在住する台湾人の間には、
最近になって独立運動が盛んになっているが、
私のような気の早い者から見ると、
「中国というワク」の中での解決しか、
もう考えられなくなってしまった。

そこで三年前の参院選の時に、
私は思いきって台湾から日本へ国籍を移し、
やや突飛な発想だが、
帰化人として初めての選挙をやった。
私としては、できれば国会で
海外援助委員会でも組織して、
その立場から、中国に影響し、
中国と台湾との間で、台湾の人々が
胸を撫でおろせるような解決の道を見出せたら、
と思ったのである。

残念ながらこの発想は、
一切話し合いに応じない態度で貫いてきた
台湾政府にとっても必ずしも愉快なものでなかったし、
国民政府の右翼の中には
「台湾にある邱永漢の財産を没収せよ」
と主張する者まで現れた。

準備不足と選挙に無知なせいもあって、
私は全国区で僅か十四万票余りしか得票できなかったが、
排他性の強い日本人の中で
これだけの票が取れたのだから、
そう見捨てたものではない。

たとえば、日本人が韓国か台湾へ行って、
帰化と同時に選挙に打って出て
果たしてどれだけの票が取れるか考えてみても、
日本人は必ずしも排他的国民とは言えないと思うのである。





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2012年2月11日(月)

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