死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第85回
誰が死んでも困らない

凡そ人間のやることにはみな動機がある。
動機は人によってそれぞれ違うが、
その人の動きを見ていると、
大体、その人の本当の狙いは何か、
さぐりあてることができる。

動機の中で、最もわかりやすいのは
「経済」的な動機で、損か得かのソロバン勘定である。
「もうそろそろ辞め時ではないですか?」と周囲からも、
部下からも、思われている人が
なかなか辞めないで頑張っているのは、
大抵、辞めない方がトクだという計算をしているからである。

田中角栄とか、池田大作とか、
若狭得治とかといった人たちは、
辞めない理由についていろいろ弁解がましいことを言っているが、
第三者から見れば、「経済」的動機で物を言っているなあ、
としか思われない。

「日本の国のためには自分がいなければ駄目だ」とか、
「謀叛をおとしているのはホンの一部の不過の徒だけで、
大半の信者の支持を受けている」とか、
「全社を挙げて辞めてくれるなと言われているから」とか、
理由はいくらでもつけられるが、
どんな理由があろうと、
その人間がいなければ
世の中が成り立っていけないということはない。

人は必ず死ぬし、死ねば本人にとっては終りだけれど、
世の終りではないのである。
信長も死んだし、秀吉も死んだし、家康も死んだ。
歴史上の大人物が何人死のうと、
困るのは本人の存在によって利益を得ている人たちだけで、
ほかの人たちは少しも困らない。
誰が死んでも世の中は間違いなく続いていく。

したがって、「辞めたら、僕自身が困るんです」
というのが正直な回答であって、
いま日本の国でジャーナリズムから
打倒の対象になっている人で、
この人が死んだら日本の前途にかげがさす
という人は先ず一人もいない。
むしろ本人が死んでくれた方が
少し明るくなるだろうと思われている人の方が多いのである。

しかし、そういう具合に思われている人たちでも、
いまの地位を失ったら大へんだという
立派な「経済」的動機があるから、
他人がどう言おうと、死物狂いになって防衛戦を展開する。

綱引の当事者にとっては真剣な話であろうが、
利害関係のない第三者から見ると、
大へんドラマチックな芝居で、
悪役を一手に引き受けた本人も大へんだなあ、
いっぺん、悪役をつとめるようになると
案外本気になってやるものだなあ、と感心もさせられる。





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2012年3月2日(土)

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