2. 適応できない者は滅びる
景気の新旧の波の押し合い
昔は景気不景気というと、すべての商売がその影響を受けた。景気がよくなると、芝居小屋の下足番の小父さんや、人力車の車夫に至るまでその恩恵にあずかった。反対に不景気になると、失業者が巷に溢れた。
戦後は、仕事がふえ、労働力は売手市場に変わり、労働組合の力が強くなって勝手に首を切ることもできなくなったし、また雇用保険制度ができたので、失業しても飢餓線上をさまようことはなくなった。景気不景気は、経営者だけが敏感に感ずる程度のものになりさがったが、その経営者も、高度成長が続く限り、よほどの失策でもしない限り、倒産の憂き目にあうことはなくなった。
ところが、七〇年代以降の景気の動きを見ていると、景気不景気が経済全体の動きであるというよりは、業種別の動きみたいに変わってきた。石油ショックで世界中が不況だといっても、石油の商売をやっている業者はどこもかしこも引っ張り凧である。反対に製造業は、コストが上がりすぎて売れなくなり、四苦八苦しはじめた。この調子だと、物をつくるメーカー業よりも、物を売る販売業のほうが優位に立ちそうな気がしてくる。強烈な販売力を持ったスーパーこそ時代の寵児ではなかろうか、と思いたくなってくる。事実、そういうきざしも見えないではなかった。
しかし、風向きはすぐに変わった。まず鉄鋼、自動車から繊維、食品に至るまで、メーカー業に危機感が溢れた。カメラや腕時計のような、日本がすでに世界市場で主導権を握った業界でさえ、コストの上がってきた分をそのまま価格に上乗せして販売しようとすれば、たちまち売上げが激減することは目に見えている。そこでメーカー業は、まず人減らしをして減量を図り、同時に下請けからの仕入れ値段を大幅にカット・ダウンした。値段を切り下げられた下請けは生き残るためには、自分たちのコストダウンに真剣に取り組まざるを得ない。しかし、そうした必要に迫られたおかげで徹底的な原料節約と労働力の生産性が追求され、結果として日本のメーカー業が世界で一番上手に石油ショックを切り抜けることに成功したのである。したがって、十年前と今の『会社四季報』を見比べて見て、従業員が半分に減ったのに、売上げは逆に倍増しているという合理化の事例に事欠かなくなった。
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