無形の商品が売れる
もっともアイデアだけでご飯の食べて行ける人は、一〇〇万人に一人くらいの割合だから、元手のない人や元手をなくしてしまった人がアイデアを元手として生きて行けると思ったら大間違いである。
ただ、資本が勝負を決定するものでないことがわかれば、資本の圧力におののかないですむようになる。大きな資本を持った人でも小さな資本しか持たない人でも、アイデアが枯渇し、時世にあわない経営をやるようになれば、同じようにお金をすり減らし、同じようにピンチに追い込まれる。小さな資本は会社ごと倒産するのに対して、大きな会社は会社は残るが社長は追い出される。どちらも、社長本人にとっては今まで築いた事業を失う点では、何の変わりもないのである。
反対に、アイデアがあり時世にあった商売でさえあれば、資本がなくても資本がないなりの商売があるし、資本なしの商売もできる。とりわけ倒産しで、ハダカになったり、事業を整理してもう一度はじめからやり直す人は、勢いに乗って事業を拡張する人と違って、たいした資金を持っているわけではないから、お金のかからない商売を見つけるよりほかない。
しかし、これだけ競争の激しい世の中に、はたしてお金がかからないでできる商売がまだ残っているのであろうか。いったいどこに新しい商売のタネが見つかるのであろうか。
私のところへはずいぶんいろんな人が相談に見えるが、その中で一番多いのは、「何かこれからできるお金の儲かるショウバイはないでしようか?」ときく人たちである。私にとって一番苦手なのは、実はこういう人たちである。どうしてかというと、自分で問題意識を持たず、自分に向いた職業は何であるかも考えず、ただ他力本願で、人に教えてもらってお金が儲かる話があると思うこと自体、どうしても私には腑におちないのである。
どんなことでも、自分が問題意識を持っていなければ、たとえチャンスが目の前を通りすぎてもそのまま見すごしてしまうものである。たとえば、もし「元手なしでできる商売はないか」ということが常に頭のどこかにひっかかっていなければ、人がやっている商売を見て、これは元手のかかる商売かどうかさえ気づかないですんでしまうであろう。
工場を建て機械を据えて生産をする事業は元手のかかる商売だが、製品の企画をたてて工場に発注する商売のほうはあまり元手がかからない。竹久みちという人のやり方だと、発注するときのお金は三越から前払いしてもらうし、納入した商品は買切りの返品なしだから、元手いらずの典型であろう。
また医科大学を建てて学生を募集する商売は、校舎をつくったり付属病院をつくったりするのに何十億円、何百億円というお金がかかるが、予備校は入学試験に合格させるだけの商売であるから、校舎を借りるお金とアルバイトの先生たちに払うお金の用意ができれば間に合う。
模擬試験のテンサクをする商売になると、臨時に場所を借りるか通信でやるかのどちらかだから、学校の教師が片手間のアルバイトとしてはじめることもできる。事実、教師のアルバイトからはじまって、全国的なスケールの模擬試験屋になり、年問に五〇億円の利益をあげるようになった例も私は知っている。
最近の、これら新興の商売を見ていると、いくつかの共通の傾向がある。
まず第一に、有形の商品よりも無形の商品にウエートがかかってきたことである。コンピュータのソフトウエアもその一つであるが、カルチャーセンターにしてもゼミ屋にしても、売っているものは「ソフトウエア」である。ファッション商品のように、セーターやブラウスの形をとっていても、セールスポイントになっているのは、品質ではなくてスタイルとか配色とかムードとかいったアイデアである。そういった意味では、これからは、頭脳商売の時代であるということがいえよう。
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