しかし、この三十年間で私たちは工業生産の正しい値打ちを認識するようになった。オートバイを世界に売った人も、テレビを日本国中に普及させた人も屈指の大金持になった。どんな工業製品でもそれが売れさえすれば「富の創造」になり、新しいお金持をつくるものであることを理解するようになったのである。
いま私たちはもう一歩進んで、新しい「富の創造」の門前まで辿りついている。世間一般はまだ旅行をすることやリサイタルに行くことを「富の創造」とは認識していないし、はたして何が富になるのかさえわかっていない。そういう私だって、門の向こう側に新しい富の宝庫があることは知っているが、どれがはたして大きな鉱脈なのか、まるで見当がつかないでいる。
ちょうど三十年前に、私たちが工業の宝庫の前に立って躊躇したのと同じように、いまの私たちは、ソフトの宝庫の前に立って思い悩んでいるのである。
とすれば、不況に行く手を遮られていると思うのは、定位置にいて魚の通らなくなったところで相変わらず釣りをしているからだ、ということができる。
不況とは漁場の変わることだから、新しい漁場に移ればよい。新しい漁場は聡明な人でないと発見できないかもしれないが、その人の隣に位置して釣りをする手もあるし、その人が釣った魚を売る手伝いをして生計を立てることもできる。ただし、そういう漁場は、残念ながら人口の稀薄な地域には見当たらない。
「人の集まる所に集まれ」
「人の欲しがるものは何かをよく観察せよ」
「一度失敗したことのある人は、二度と同じ商売に戻るな」
「新しい漁場が行く手に拡がっているのに、後ずさりをして溝におちることはないぞ」
というのが、私の皆さんに対するアドバイスである。
<おわり>
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